●要点●
坐禅は坐ることやから。単純にな、坐ることができるかできないか、自我に勝てるかどうか。坐ることができる人は、自我に勝つ素質のある人。先輩のAさん言ってたで、禅の力はすごいって。特に目的なんてなくても、一生懸命坐るだけで、威力が出てくるし。顔が変わってくるとかね。最近、禅の深さがさらにわかってきて驚いてるよ、私も。深い。深さがわかると、やめれなくなる。 坐るだけで、真理になってくる。

◆◆◆


禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

e0342817_10534787.jpg
Kei ─
これええやろ。

Aya
─ うん。梦?夢?誰の?


鈴木大拙。

─ さすがやねー

見解(けんげ)、いっぱいあんのになー。スカイプできそうもない。



坐禅は坐ることやから。

花に寄って来るけど、その上に坐れないのは残念や。

単純にな、坐ることができるかできないか、自我に勝てるかどうか。

坐ることができる人は、自我に勝つ素質のある人。器のでっかい人は坐れる。自我が少ないから。

まあ、そんな感じ。

坐っているときの自分の妄想を見るとよくわかる。その人の自我はどんなものであるか。浮かんでは消えるやつ、それが自我の自分で、器の大きな人でも、その人の自我はその形で知ることができる。

─ うん。それが見解?

見解はもっともっとあるけど、これは一部。

本当の自分は、その妄想以外の空白部分ね。山下(良道)さんはそれを「青空の自分」と言ってるね。禅の言い方では、空、無、だね。わかりにくいけど。

つまりね、妄想以外には知的に把握できるものがないから、だから空なの。

─ 自我、妄想が強いと見えんてこと?

いや、把握したがると、妄想を掴んでしまうということ。掴めるものはそれしかないからそうなる。

把握はできません、本来の自己は。

本来、人人具足というのは、人々は自分自身がその把握できないもの自体なのに、それを忘れて妄想上で自己を把握しようとして、そして妄想を掴んでいる。

人人具足というのは、みんな「把握できないものそのもの」なんだよと言っている。自分自身、知的に把握できないものそのものということ。

─ 人人具足(にんにんぐそく)?

本来から備わっているということ。

●付け足し●

2017.6.18 坐禅メモより
人人具足。そもそも元から全ての人が備えている(と言うよりも、そのものである)不思議な本当の自己(聞く底の主、見る底の主)。コレに気が付く事が悟りである。

初めから備えている、あるいはそのものなので、新たに付け足すのではないが、分別思考のために気が付かなくなっているだけだ。無字の公案では分別思考を停止させ、強引にコレに気が付かせる。無、空、即今、それっきり、、等々



(無字の公案は)ムーになりきるしかない。思考停止や。ある意味では、頭なんてオモチャみたいに扱えんといかんて話やな。大事にし過ぎやから、頭を。その辺がキモかもよ。脳みそよりムーが大事ぐらいの勢いで。

脳みそが壊れても、ムーを取る。そんな感じ。やっぱり、脳みそと引き換えぐらいの気持ちやろな。勢いが大事やわ。



─ あのさ、坐禅会の後の坐りが違うのは、周りの人たちのお陰?

そう。それに、先輩とかと禅の話したりするから。禅のベクトルがはっきりするから。一緒にいると。禅の威力が発揮されてくるんちゃうかな。

先輩のAさん言ってたで、禅の力はすごいって。特に目的なんてなくても、一生懸命坐るだけで、威力が出てくるし。顔が変わってくるとかね。

健康な顔に変わる。1日坐るだけでも。これは、鍵山さんの掃除道でも同じこと言う。

でも、禅の方が深いやろな。

最近、禅の深さがさらにわかってきて驚いてるよ、私も。

─ そうなんや。

そう。深い。やめれなくなる。深さがわかると、やめれなくなる。

─ いや、深さがわからなくてもやめれん。なんやろ。

真実やからやな。真理か。

坐るだけで、真理になってくる。



ZEN...One world One universe One space


[PR]
# by keiaya2015 | 2017-06-20 05:44 | 坐禅へのヒント

仏法の醍醐味


禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

法あっての寺、寺あっての法
仏法があってこそ寺があり、寺があってこそ仏法も保たれるということ。持ちつ持たれつの関係にあることのたとえ。

Aya
─ こんなことわざあるんやねぇ。知ってた?

Kei ─
知らんかったなあ。

醍醐味
深い味わい。最高の楽しさ。「醍醐」は、牛乳・羊乳を精製した濃くて甘い食品。昔の人はめったに口にすることはできず、最高の味覚とし、仏法の真髄にたとえた。


Kei ─
その禅の醍醐味、仏法の醍醐味がわかりかけてきた。確かに、今朝の見解(けんげ)はね、

即今是成。

この瞬間が完璧な真理なんだ。
これが完全な答えなんだ。

みんな完璧な宇宙の真理・答えの中にいるのに気がついていないだけなんだ。

大悟徹底とはコレに気が付く事。
無我になれば自然に気付く。

でも、そもそもそんな大悟などはない。

なぜなら、コレがそのまま真理・答えだから探すものではない。なのにどこか外を探し回るから見失う。探しても見つかる訳がない。
(2017.6.16 坐禅メモより)

─ ええね。

そう、初めから持ってるものだから、探し回ると余計に見つからない。

仏法は、そういう初めからあるものを、どうやってその素晴らしさを見せてあげられるのかってことやな、みんなに。初めからあるものやから、その素晴らしさを見せてあげるのに、かなりの工夫が必要。

例えば、どんな地獄も天国に変えることができるとか。

そういう力がある。その方法を身につければ。


e0342817_21303401.jpg


ZEN...One world One universe One space


[PR]
# by keiaya2015 | 2017-06-17 05:41 | 禅者の成長の歩み 2017

禅の利他


禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

●前置き●

Kei ─
「応無所住、而生其心」
(おうむしょじゅう、にしょうごしん)

この「心」は、ああ寒い!ああ暑い!の心。

虚空に浮かぶ心だ。根は無い。

自分とは、その上に作った妄想だ。

この虚空がソレ‼️ 全てはそこから来てそこに去る。

これが即今この場‼️
(2017.6.13 坐禅メモより)

●●●

Aya
─ 禅も利他でしょ?一般的に他人のためになることをすることと、自己中とはあまり変わらないって言ってたけど、禅の利他って難しい。

計らう心は全て妄想。

─ なるほど。「計らい」は利他ではないいんや。

利他の心とは、暑い寒いの心で、そもそもが虚空。虚空やから、できるんやで、利他は。

そもそも、利他じゃなくて、虚空を大事にしてるみたいなもの。その虚空に大生命を見て、みんなその大生命やから、それを何とかしようとする。自分自身も大生命。

でね、みんな自分が虚空であることを知らないから、まずそれを教えてあげようとするわけ。それが救いだから。

仕事でそれを生かすとなったら、まずは自分自身がそれをしないといけない。それはつまり、忍耐とか、布施とかね、そういうこと。自分のものは何も持たない。前提としてそういうきびしき面が出て来てしまう。だから難しい。

─ なんかよーわからんが、簡単ではないね。利他。でも、憧れる。

老師の言う、もうちょっとの世界やな。

もう20年くらい前になるけど、自分の手を見て、なんやこれは??と思った事、この答えみたいなもんやな。これが、「聴く主、何者ぞ?」なんやけど。

この聴く主は、実は虚空の表れ、神と言っていいけど、その発現がこの手や足。

全く、普通の人は毎日見てても気がつかない。自分の体が、自分自身がどれだけのものか。

そこから慈悲心や利他の心が起こる。まあ、気がついてなくても、事実がそうなってるから、自然に利他や慈悲心は出て来てしまうんやけどな。その根拠を知ることが仏教、禅やな。


●付け足し●

─ ところで、Keiさんは師匠に会ったとき、何か感じたの?

いや、特に。どっちかと言えば、自分の親父みたいな匂いした。優しさとかね、そういう意味で。だから、信頼感は持ちやすかったね。親父があんな感じやったから、親近感が湧く。

─ だから生意気なんやね。

そうそう、なんかな、わかるねん、あの人の心が。

優しい。思いやりやな。

来る者には徹底的に優しい。去る者にはかなり冷たい。笑

─ 冷たいの?

そりゃそうやで。そうしかできんから。来る者には徹底的に優しくできる、だけしか無理や。去る者には、優しくしようがないから。まあ、そのメリハリやろな。

とにかく優しさがわかる。一生懸命や。



ZEN...One world One universe One space


[PR]
# by keiaya2015 | 2017-06-14 05:32 | 茶話・禅話

この不思議な存在


禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Kei ─
(最近、独参がダメ。)なんで、この簡単なのがわからんのかなー?と老師と二人で悩んでしまった。

なんか、私は「目」に問題があるのかも。目と妄想が結びつくのかも。音は簡単に脱落するのに、目が中々できん。



見解(けんげ)でた。

この聞く事、見る事、不思議な存在。この不思議な存在が、自分とか、あなたとか、そんなちっぽけなものであるはずがない‼️

なんだ、この見えるということは?

なんだ、この聞こえるということは?

不思議で不思議で‼️

これは自分などという小さな話ではなく、全く宇宙のあり方そのものの不思議さなのだ‼️

この現象の不思議さ、この宇宙のあり方の不思議さ、全く個など入る余地はない。この不思議な宇宙にドップリと浸って、なり切ってみろ! (2017.6.12 坐禅メモより)



Aya
─ なんか迫力あるね!たまたまやろうけど、今日道を歩いているときに、この見たり聞いたりしてるこの物体って何なんやろな~なんて思ってた。でね、それをずーっと感じ続けると不思議な感じがするね。レベルは違うやろうけど。


いいねー。
それが本来の仏やな。
それにプラス、思考や妄想。

─ なるほどー。私は思考と妄想まみれや。


●付け足し●
『天使のくれた時間』て映画知ってる?



なんか、単なるラブストーリーなんやけど、あの、引き返そうとするところがいいねん。確かに人生にはあんな場面がある。なぜあの時にこの選択をしなかったのか...とか。

不思議やな、人生は。

私の感じとしては、全てはここにある、時間とか関係なくここにある。ただ、それを感じられない人と感じられる人がいる。禅で見性したら、それを感じられる人になる。

時間は違う流れ方をしたように見えるけど、それは違うんやな。そうなっていない。どんな道を選んでも、それとは別のものがあるんじゃない。

その道の中に、全ての道が入っている。



ZEN...One world One universe One space


[PR]
# by keiaya2015 | 2017-06-13 05:33 | 禅者の成長の歩み 2017


禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Kei ─
見解(けんげ)あった。

①全てを忘れ去り

②無字になりきる時

③現れてくる世界

④それが本当の自己

⑤その自己を生き切る修行

🔴この世は一体の空=仮想世界。一体なので元から全て通じている。そこに沿って生きて行く事が悟りなんだ。

Aya
─ なんで番号ふってるの?


座る時の流れ。坐禅のね。



─ あのさ、坐禅してないときは、本当の自己から離れてしまうの?

忘我になるとわかるんやけど、それって独特の雰囲気なんや。坐禅仲間といるときは簡単やけど、そもそも利害関係者といる時に忘我ってのは、ある意味アホになる事やからな。

本来の自己から離れるというか、そもそも離れるということはな、固定化してしまうということなんや。つまり、空であること、仮想現実であることを忘れてしまうこと。

固定化から離れて本来の状態に戻るのは一瞬や。単に全てを忘れればいいだけ。

─ だから、坐るんやね。毎日。

そうそう。

─ 忘れないように?

いや、忘れるために。

─ そっか(笑)

固定化から離れるために。

でも、だいぶ固定化からは離れてきたよ。そしたら、世間の基準から離れてき始めたけどね。ダンダン、禅者的になってきてる。

世間では、良識とか社会的な損得勘定やら、そういう定番があるけど、そういうのから離れると、つかみどころのない人間になる。だから、固定化ってのは、つまり社会的なつかみどころで、社会的にリンクしておくためのキーみたいなもんやな。

それが外れると、本来の自己には戻れるけど、社会的なキーは消える。だから、普段は本来の自己を生きつつも、社会的なキー、つまり固定観念も使わないといけない。本来の自己、空を生きつつも、固定観念というバーチャルリアリティを生きる。

そうすれば自由ではあるわな。まあ、ちょっと馬鹿げてる感じするけど、笑。

─ ブッダはそれについては何か言ってたの?

はっきり言ってさ、ブッダもイエスも、道徳的な話してないんじゃない?孔子も。ソクラテスも。

ありきたりな当たり前の話。



もう大体わかってきたからなー、禅。

─ まだ中級者なのに?

わかってきたで。人によって、早い遅いはあるやろ。深まりはまだあるやろうけど。

まあ、私は、私の禅やし。

─ 深まりって?

深まりは、修行のね。人生が深まる。より、宇宙的になる。

例えば結跏趺坐してご臨終とか。ありえるね、このまま行けば。でもさ、それぐらいやで。

わからん人には、何の意味もない。座って死のうが、病院のベッドで死のうが。笑 けど、本人的には天地の差がある。

─ 人生も深まったの?

人生も深まりそうではあるな。何て言うか、仕事の成功とかとは違うねん。逆に、そういうことにはこだわらないというか、、

人生というのは、なにか終点を目指して生きてるんじゃなくて、どんな展開であってもいいから、この不思議な世界を味わい尽くす、そんな目的で、ただ歩めばいいのかもしれない。

やっぱり、この世は自分自身で、死ぬこともない世界やからやな。終点はなくて、この世の全てが自分てことが、分かり始めたんやな。

だから、ある意味では、別に急いで生きなくても、死んでからでも遅くないというか。

味わい尽くすて意識しなくても、味わい尽くすよ。何か、周りを見てたら急いで何かをしている。そんなに急いでも、終わりはないし、終わることもない。

それより、もっと立ち止まって見てみるといいのに。



コクのある人生にしたいね。できたら、誰にも知られず徳を積んで行きたい。

─ うん。Keiさんの師匠とか、そうなのかもね。実は。

そうやな。それが、人生の目的やろな。

最もふさわしいあり方をする。死んでからもね。生死に関係ないな、これは。


e0342817_10124769.jpg

ZEN...One world One universe One space


[PR]
# by keiaya2015 | 2017-06-07 05:44 | 禅者の成長の歩み 2017

某坐禅道場で悟後の修行に励む在家禅者の個人的なブログ◆悟りとは、禅とは、坐禅修行とは… ブッダから途絶えることなく継承されてきた「禅」という究極の道を歩む修行者が、リアルな体験を元に語ります◆修行の歩みを記録して行くことを通して、伝統的な坐禅修行の奥深さと卓越性をお伝えすることを目指しています◆「悟りとは徹底的な否定の連続、だからどこまでも進んで行く」by Kei since 2015


by サラリーマン禅者