禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Aya
─ 今日のテーマは?


Kei ─
テーマは・・・・禅

─ 笑。あたりまえやん。

"Stay hungry. Stay foolish." 
"It’s wonderful to have a beginner's mind."
by Steve Jobs

─ 初心のことって、スティーブジョブズも言ってたの?

これが話したかった。ゼンマインドの、鈴木俊隆さんの本にそういう事が書いてあって、ジョブズはあの本好きで読んでたから、仏教には初心という事があって、それは素晴らしい心なんだ・・・ってことをあちこちで言ってるね。ハングリー、アホであれってくらいに。まあ、初心はそれに似てる。

ジョブズが言ってるのは、それが仏教の教えにあるって意味で。その言葉はこう。

仏教には「初心」という言葉があるそうです。
初心を忘れずにいるのは素晴らしいことです。

There’s a phrase in Buddhism, ‘Beginner's mind.’
It’s wonderful to have a beginner's mind.


それを職場の会議で、さわりだけ使った。 ビギナーズマインドは、そのまま禅の事やし。

─ どういうこと?

初心=禅

─ なんで?

禅をするという事は、常にゼロポイントに戻る事。初心とは俗に言うところは間違っていて、要するにゼロや。

能の大成者、世阿弥が言い出したとされている言葉やけど、初心。それは、初心忘るべからず、やな。

─ 世阿弥の初心は仏教の初心と同じ意味?

もっと理屈っぽい。禅の意味では、単純や。

ビギナーズマインド。この英語表現が、昨日はウケたね。分かり易かったみたい。会議で「初心に戻って・・・」ってな話をしてたから、それを解く意味で話した。

初心は、ビギナーズマインドです、初心者の心ですって。

専門家になると、心が自由でなくなる。初心者ほど心は自由だと。


ZEN...One world One universe One space


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# by keiaya2015 | 2017-03-23 05:16 | 茶話・禅話

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Kei ─
ムジ(無字の公案)の話。

無字とか隻手の声とか、かなり誤解してたかもしれんな。坐れば坐るほど、内容が変わっていく。

無字の「ムーーー」と、隻手の「声」とが同じものを指してる事とか、これは深く坐らないとわからんね。

父母未生以前の自己、とかね、これも「ムーーー」や「声」や。結局、隻手の声って、要するに、片手のままやん。ムーーって言っても、ムーーのままやん。父母未生以前て、それもそのままやんそれって。

それらは、全部、何かをする前のことやん。

Aya
─ わからん(笑)

つまり、何か、意識して手を加える前の事。考えて、これはこう、あれはこう、そういう事の前の状態。そこに目を付けるってことは、もうね、なんにも考えるなという事。それが本来の自己ってこと。

私はわかった。

─ 前からそう言ってたと思うけど、今さら?

深いんや、とにかく。「そのまま」ってことは、思ったより深い。

片手に音なんてある訳ないやん。片手の音を聞けってことは、音以前や。音以前になんかあるぞって言いたいわけや。ムーーもそうや。そのムーーは何かなんだぞと言いたいわけや。その何かは、名前がついてないから、その名無しの何かに気が付けと。

公案は全部それやな。

あえて、あり得ない事を言って、その事実、全ての前の事実に突き当たらせようとしてる。どんな言葉でも、事実に突き当たれば言葉は力を失うやろ。どんなに矛盾した言葉も、その言葉が意味を失うまで突き詰めるんや。

隻手の声。。。。これを突き詰めれば、隻手しか残らんやろ。

そいつが声を出すんやから。


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# by keiaya2015 | 2017-03-13 05:05 | 禅者の成長の歩み 2017
●要点●
十牛図の話は分かり易い。最後の布袋さんは、「首から下」、向かいにいる迷える人が「頭から上」。頭がどんなに物事を分別して解釈しようとも、首から下はそれが嘘だと見破っている。だから、それに啓発された人は、禅堂に来るんだよ。何かおかしい・・・となってね。どんな人にも最初から備わっている、見破る布袋さん。どんな人も、首から下は布袋さんなんや。ようやく、仏の意味が見え出した。ブッダとは何か、ようやくね。

◆◆◆


禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Kei ─
見解(けんげ)、いろいろあるけど、なんかね、一気にぶっ飛んで行ってて、個別に語れない感じ。物凄い勢いの変化で。

Aya
─ そうなんやー。

例えば、もう頭でしている事実の誤認とか、顛倒妄想とか、そういう話は充分やし、自分はないとか、本来の面目とか、そういうのも充分や。

十牛図の話は分かり易い。

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最後の布袋さんは、「首から下」、向かいにいる迷える人が「頭から上」。

だから布袋さんは腹も出ているし、体がデカい。

迷える人は、見るからにインテリのモヤシ系。

この絵は、物凄く真実を現してて、見たままやな。結局な、ワンネスも頭さえ使わなかったら、誰でも分かる事で、頭というのは、とにかくあるがままの事実を遮ってフィクション化する役割やから、頭だけで生きている人は、絶対にノイローゼになる。

体ははっきりとワンネスを悟っているのに、頭が邪魔しとる構図や。皆ね。

頭が真実を見ないだけならノイローゼにはならんけど、問題は首から下は完全にワンネスの世界に住み続けとるから、体は頭のすることには絶対に納得せんことになっとるんや。

頭が首から下の気持ちに素直になれば事は解決や。



頭がどんなふうに物事を歪曲して理解しようとも、首から下は騙されることは無い。

そこに苦しみが生まれる。

頭がどんなに物事を分別して解釈しようとも、首から下はそれが嘘だと見破っている。

だから、それに啓発された人は、禅堂に来るんだよ。何かおかしい・・・となってね。

どんな人にも最初から備わっている、見破る布袋さん。どんな人も、首から下は布袋さんなんや。そこまでは完全に見えたよ。とにかく、頭が邪魔しとる。



布袋さんに目覚めれば、苦しみは消えるよ、たとえ癌になろうとも。

どんなふうになっても、布袋さんは死なない。

それこそ宇宙が崩壊しても、布袋さんはそこにいる。


ようやく、仏の意味が見え出した。

ブッダとは何か、ようやくね。

単純な話や。


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# by keiaya2015 | 2017-03-08 05:02 | 禅者の成長の歩み 2017

某坐禅道場で悟後の修行に励む在家禅者の個人的なブログ◆悟りとは、禅とは、坐禅修行とは… ブッダから途絶えることなく継承されてきた「禅」という究極の道を歩む修行者が、リアルな体験を元に語ります◆修行の歩みを記録して行くことを通して、伝統的な坐禅修行の奥深さと卓越性をお伝えすることを目指しています◆「悟りとは徹底的な否定の連続、だからどこまでも進んで行く」by Kei since 2015


by サラリーマン禅者