無我を目指すしかない

●要点●
禅でいう事実とはね、月の光が窓から差し込んでくる様。この事実に至るまでに長い長い修行をする。その事実に気が付いたら、この宇宙は楽園に変わる。今の私は、半分足を踏み入れた状態やな。まだ半分の段階や。無我を目指すしかないな。真の事実を見ようと思うと、自我があってはダメや。無我でないと見れん。これに尽きるな。

◆◆◆


禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Kei ─
禅でいう事実とはね、月の光が窓から差し込んでくる様。

この事実に至るまでに長い長い修行をする。

でも、既にみんなそんなことは知ってるはずなんだけど、でも、悟らないとそれに気が付かない。

その事実に気が付いたら、この宇宙は楽園に変わる。

今の私は、半分足を踏み入れた状態やな。今でもまだ半分。まだ半分の段階や。

Aya
─ もし100%になったらどうなの?


そしたら、例えば会社の厄介者のA氏もいなくなる。100点になると、煩わしいものは消えると確信できる。

─ 事実に気づいたら、宇宙は楽園に変わるって、どんな楽園に?

その人や物が消えるんじゃなく、心が煩わしさに反応しなくなると思う。心から煩わしいという形が消える。そういう楽園。色々なネガティブな形が心から消える。自我がそれを形作るから、それが消える。

無我を目指すしかないな。

今の公案通ったら、無我度UPや。

確かに、真の事実を見ようと思うと、自我があってはダメや。それは確かや。

無我でないと見れん。

これに尽きるな。

─ やっぱり、坐ることで無我になって行くの?

なるよ。ていうか、それしかないやろ。坐るしか。

─ 坐禅の力は、本当にすごいんやね。

そう。



ZEN...One world One universe One space


[PR]
# by keiaya2015 | 2017-12-15 05:37 | 禅者の成長の歩み 2017
●要点●
全ての生きる目的はこの衆生無辺誓願度に集約される。これが最高目的やな。これがわかると、一切の迷いが消える。ただ衆生無辺誓願度あるのみ。・・・ 成仏するとそれがわかり、そしたら仏の道を全て知りたくなり、その為に煩悩は邪魔なので捨てたくなり、そうなれば衆生をみんな救いたくなる。順序は色々だが、最後のとどめは衆生無辺誓願度。ワンネスだからそうなって当たり前。禅もここに極まれりや。

(四弘誓願文は)順序からいうと、下から上にグレードアップしてくる。最上が衆生無辺誓願度。てことは、道を成就するのは最低ライン。それが見性で、学が見性後の修行で、次に大悟徹底で、最後に皆を済度する。悟る事が目的じゃない。悟るのはやっと普通に戻っただけで、そこから人を救ったり、学んだりしないといけない。

e0342817_14261838.jpg

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Kei ─
「衆生無辺誓願度」 この言葉、いいねー

改めて、四弘誓願に感心した。

Aya
─ 四弘誓願文の起源は?

わからん。

─ 四弘誓願はね、天台宗の祖・智顗(ちぎ)の「摩訶止観」が元やって。
➣ Wikipedia「四弘誓願」のページへ



結局、全ての生きる目的はこの衆生無辺誓願度に集約される。

これが最高目的やな。

これがわかると、一切の迷いが消える。



これは無字の公案とも同じや。今回の会社での出来事も、だんだん解決に向かっているけど、その成り行き見てても、結局、問題のある人をみんなで分担しながら個別に救う事で解決しそう。そういう行いを、アクションを起こすことそのものが救いになって行ってる。

トラブルメーカーのA氏とB氏を引き離して、個別に正しい方向へ導くとかね。1人も見捨てないで救うという行動が、ことを解決する事そのものなんや。

結果の問題ではなく、衆生無辺誓願度の行動ね。それを今やってる。

A氏は厄介者やけど、バカみたいな行動はさておき、衆生無辺誓願度だけは当てはまる。こっちは連中のバカ行動を無視すればええんや。ただ衆生無辺誓願度あるのみ。



煩悩無尽誓願断あるやろ。

もし、ぼんのうむじん誓願断ができれば、必然として衆生無辺誓願度になる。

実体のない自我や自分の為に必死になって得るものなんてあるわけないやん。その妄想が全ての基準を狂わせてるから。得る意味は本来無い。

成仏するとそれがわかり、そしたら仏の道を全て知りたくなり、その為に煩悩は邪魔なので捨てたくなり、そうなれば衆生をみんな救いたくなる。

順序は色々だが、最後のとどめは衆生無辺誓願度。

ワンネスだからそうなって当たり前。

まー、凄い話やわ。

禅もここに極まれりや。



─ 衆生無辺誓願度って慈悲心と同じこと?

同じやね。

─ 「法門無量誓願学」と「仏道無上誓願成」の違いは?

法を学ぶことと、道を成就すること。

これ、順序からいうと、下から上にグレードアップしてくる。最上が衆生無辺誓願度。

てことは、道を成就するのは最低ライン。

─ マジ???

そう。それが見性で、学が見性後の修行で、次に大悟徹底で、最後に皆を済度する。

道の成就 = 見性
学 = 見性後の修行
煩悩を絶つ = 大悟徹底
衆生済度 = 衆生無辺誓願度

─ これ、Keiさんの見方?それとも、普通そうなん?

私流。

でも、学というのは、普通は最初に来そうやけど、仏の場合は、学ぶにも、悟らないと学べない。普通の学問とちゃうから。悟った時に、学ぶものがわかる。学んでも悟れない。

結局最初の二句と同じことで、衆生を救うために煩悩を絶つ。学ぶために悟るんや。

学んで悟るとか、人を救って煩悩を絶つとかじゃない。学ぶ為、人を救う為、その為に煩悩絶ったり、悟ったりする。普通と逆になってる。結局、無我ベース。

─ ほーー 面白い見方やね。

自我のある人にはさかさまに見えるんや。

─ ガックリ、笑。

悟る事が目的じゃない。悟るのはやっと普通に戻っただけで、そこから人を救ったり、学んだりしないといけない。

e0342817_12120150.jpg

衆生の「衆」という字を間違えて覚えていたためボツになったKeiの書
by Zen Brush (スマホアプリ)

ZEN...One world One universe One space


[PR]
# by keiaya2015 | 2017-12-14 05:50 | 禅者の成長の歩み 2017
●要点●
サンガには自然発生的に、ワンネスに生きることを知る者のみが集まるようになる。だから、この社会から注目されない集団を大事にしなければ、真理を感じて集まってくる人達を認め合う場所がなくなってしまう。サンガしか、意識に出して悟りを語れる場所が無い。真理も真理だからと言って放置しておいたら、人はいつしか忘れてしまう。だから、それを大切なものとして守っている人達がいてこそ、仏も法も現れるんだと。

サンガは、仏、法を守る事で、それらを目の前に現している人達の集まり。サンガに縁を持った人たちは、それらを守り現す事で、他の多くの人たちにその存在を知らしめている大事な人達や。仏や法を真剣に求めてる人は、サンガに来ればすぐにその存在に気が付く。目には見えないが、そこに仏や法があるとわかる。サンガを、みんなのことを大切に、やな。

e0342817_23313865.jpg
ブッポウソウ


禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Aya
─ 仏法僧の僧=サンガ(僧伽)が大切というのが最近やっとわかるようになったって話を聞きたいな。


Kei ─

それね。

仏と法が大切なのは直感的にでも分かる。

結局、禅による真理ってだけじゃなく、真理は宇宙にとって真理だから、とにかく真理というものは守られにくいから、人にエゴがあったり妄想したりするからね、結局、迷い苦しんで真理から遠ざかる。

その時に、その真理を求めて集まっている集団がサンガなんやけど、その集団は、人間のエゴの目には、その真理を求めている純粋な集団とは映らずに、何かよこしまな目的の対象物としてしか映らない。

よこしまな目的を持つ人とは結局合わずに、相容れずに、結局は本当のものを求める人達だけで運営されざるを得なくなる。

サンガ(に)は自然発生的に、ワンネスに生きることを知る者のみが集まるようになる。それ以外の人にとっては、別のものに映るし、そうなると何の興味も持たないでしょう。

だから、この社会から注目されない集団を大事にしなければ、真理を感じて集まってくる人達を認め合う場所がなくなってしまう。

サンガしか、法の為、仏の為の意識を持ちあえる場所が無い。意識に出して悟りを語れる場所が無い。悟り=ワンネスね。

自我やエゴの横行する世界では、それは出せないし、つまり守ることが出来ないという事。守れる=出せるのはサンガでのみや。そういういわば揺り篭のようなものがサンガやな。おかしいんやけどな、なんか。

真理とは、赤ちゃんみたいに本来そんなに弱いものでなく、どうしても壊れない強いもの。それがどうして揺り篭かというと、人間の意志が弱いから。真理をそのままどこででもいつでも表現できるほど強くないから。

そういう意味で、サンガなんや。

人を守る、真理を守る。



─ 何がきっかけで、それがわかるようになったの?

それはね、サンガにいると、普段感じる煩わしさを感じないで済むところから、その純真さに気が付いてね、

真理も真理だからと言って放置しておいたら、人はいつしか忘れてしまう。だから、それを大切なものとして守っている人達がいてこそ、仏も法も現れるんだと。

意識して守ろうとしている人達がいるからこそ、法や仏が現れる。

そういう人たちがいなければ、真理は真理として常にそこにあったとしても、それが意識の上に現れてくることは無くなってしまう。

サンガは、仏、法を守る事で、それらを目の前に現している人達の集まり。サンガに縁を持った人たちは、それらを守り現す事で、他の多くの人たちにその存在を知らしめている大事な人達や。

─ そうそう、そう言ってたね。仏と法が現れるところって。

そう、仏、法が姿を見せるところ。

そこによこしまな人を入れて、仏や法の姿が暗まされるようなことがあってはいけない。そういう事に気が付き始めて、やはり、サンガには無暗に人を呼べばいいというものじゃないと気が付いた。仏や法を暗ませるような人は入れない。

仏や法を真剣に求めてる人は、サンガに来ればすぐにその存在に気が付く。真剣に求めてる人はね。

目には見えないが、そこに仏や法があるとわかる。

─ うん、そうだね。Aさんに会っただけで、なんかわかった。

そういうこと。それがサンガや。

そこには法や仏が現れている。

よこしまな人というのは、その仏や法は見えず、自我の対象である金や名誉が見えている人。その人たちは、真剣に求めている人達から憐みを受ける。しかし、、、それが理解は出来ない。

そこに仏や法を少しでも見る事が出来れば、仲間になれるけど、見えなければ、遠ざかるしかない。理由は、そこにいても無意味だから。

少しだけ、サンガを見せてあげるのはいいかもしれない。でも、そこでその人が仏や法を見るかどうかはその人次第。そこからは縁に任せるのが良い。それ以上のお世話は人の迷惑になるだけだろうね。

─ 見性してなくても、見えるもんなんやね、そういう意味では。

見えるね。完璧に。

Ayaさんは、家は信仰していなかったやろ? でも、見えた。

つまりね、それは教育や習慣とは違うんや。存在なんや。

─ 仏法って、存在なんやね。

存在や、仏も法もサンガも。

─ 大切にしたいから、過度な宣伝はしないんやろね。

目的がな、広めるためというより、守るためやから。

真理を現す。その為やからね。

広いとか狭いとかは問題じゃない。小さくても真理が現れてればいい。大きくても現れていないならダメ。

─ なるほどね。それを、目指そう。

もちろん、それを目指す。



サンガを、みんなのことを大切に、やな。

それ、大事に行こう。

衆生無辺誓願度~~や。

この言葉は重い。


ブッポウソウという美しい鳥がいたのですね♪
➣➣ Google画像はこちらをクリック


ZEN...One world One universe One space


[PR]
# by keiaya2015 | 2017-12-13 05:24 | 禅者の成長の歩み 2017

禅は、毎回新しい

●要点●
「心」という字が面白いことに気がついた。「心」という字が作りになってる字ね、意とか、思とか、念とか、この心の下に、「無」があるねん。この「心」の上の字が現象を表してる。心を接点にして現象を見てる。無が大海原みたいで、その上に個人の心が浮いてる。まるで、桶に水入れて浮いてるみたいに。自我ね。それで、無を探している。桶の下が無やのに、その桶を壊せば無に出るのに。

目の前のものには、何も意味はない。意味は単に思っているだけのものに過ぎないよ。それは、無から生まれて無に帰する。まさに、無から何かが生まれて、その度に新しく感じる。実際、心の上に生じる世界はね、それっきりやから。時空も超えてて、それっきりやから。毎回新しい。すごいな、これは。毎回新しい。禅や。

◆◆◆


禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Kei ─

あ、そういえば新しいムジ(無字)の見解(けんげ)があった。

結局、(公案集)○○○の最後まで行って、ムジに戻って来た。まとめってこのことなんや。最後のまとめ。

Aya
─ まとめっぽいの?

そやな。ムジの正体をしっかり見る。



ユングは正しいね。

集合的無意識

ムジの事か言いたかったんやろな。意識に上らないところね。



この「心」という字が面白いことに気がついた。「心」という字が作りになってる字ね、意とか、思とか、念とか、

この心の下に、「無」があるねん。

「無」の上に「心」、
その上に「今」とか。
念ね。

「無」は書けない。言葉にできないから。

この「心」の上の字が現象を表してる。

心を接点にして現象を見てる。

無が大海原みたいで、その上に個人の心が浮いてる。

まるで、桶に水入れて浮いてるみたいに。自我ね。

それで、無を探している。

桶の下が無やのに、その桶を壊せば無に出るのに。

その桶と中の水が意識や。

─ 桶を壊すって、底が抜けるってやつ?

そう。

でもな、その桶の場所はわからんねん。

そもそも、大海原の無に浮かんでるだけやから、その場所ってないねん。

要するに、無から生まれた桶や。

観念や。

ないのにあると思ってる桶。

中身は無の大海原と同じ水。

この桶が観念、思考や。身元不明の幻影。

大海原の存在がわかるのに意味がある。

(未見性の人たちが)わからんのは、この大海原やねん。桶の中身は分かっとるんやけど。桶とね。ガッチリと桶にはまってて、そこから出れんねん。

それを壊すしかない。

見えてるものに意味や解釈を与えないこと。

特に坐禅の時。

目の前のものには、何も意味はない。それに、意味は単に思っているだけのものに過ぎないよ。

それは、無から生まれて無に帰する。

空中に浮かんでるものと同じ。空になる。

意味や思いね。

だから、右見て左見たら時空が変わる。



私の老師も言うとった、出たり入ったりするって。あの世界とこの世界を行ったり来たりするんやないかな。その度に新しい見解みたいに思うんやろ。

─ Keiさんも?

そう、私も。

まさに、無から何かが生まれて、その度に新しく感じる。

─ で、聞いてる方は、いつもと同じ見解やんと思う(笑)

実際、心の上に生じる世界はね、

それっきりやから。

時空も超えてて、それっきりやから。毎回新しい。

すごいな、これは。

毎回新しい。

禅や。



2017.12.10 坐禅メモ
思考や観念や言葉は、無=本来の自己を覆うインターフェースだ。禅はこの無のみになり、インターフェースを自在に着脱出来る事を目指す。

無を代弁している思考などはインターフェースだが、無と遊離した思考などは妄想だ。



ZEN...One world One universe One space


[PR]
# by keiaya2015 | 2017-12-12 05:15 | 禅者の成長の歩み 2017
●要点●
量子コンピュータって、計算式なしに答えを出すんやけど、というか、そう言われてるけど、計算式がないんじゃなくて、自然の摂理の中に計算式があって、それで答えを出してる。頭脳よりも、自然がする計算、これは禅では悟りと言うし、科学では量子計算というが、この計算の方が何十億倍速い。

宇宙は常にスーパー計算をしていて、必ず最適解を弾き出している、常に。無心になるとその宇宙コンピュータの出す答えが見えてくる。坐禅は、その宇宙コンピュータにつながることで、頭脳は、その答えの翻訳機や。無我がすごいんじゃなく、(すごいのは)無我の結果出てくる宇宙コンピュータの答え。量子コンピュータは、初めてその扉を開けようとする科学からの挑戦や。

目の前の現実。その計算速度は、人間には測れない。瞬間で宇宙の果てから果てまでを計算できる。その宇宙コンピュータが作り出したものが、犬や。趙州、狗子仏性。

◆◆◆


禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Kei ─

すごい見解(けんげ)や。突然。さっきね、急に。

Aya
─ もしや、(解けずに苦労してた)公案解けた?


公案とは別。

─ どんな見解?

解けたかも、今。笑笑

見解はな、

量子コンピュータのこと考えてて、

量子コンピュータって、計算式なしに答えを出すんやけど、というか、そう言われてるけど、

そのこと考えてたら、急に見えたのが、

計算式って、人間が考え出すものだけを想像してしまうけど、

量子コンピュータの話みたいに、計算式がないと思ってるのは、実は人間が考え出した計算式がないからってことだけであって、実は、自然がすでに計算を済ませて答えだけを人間の頭脳に提供してるだけやからや。

計算式がないんじゃなくて、自然の摂理の中に計算式があって、それで答えを出してる。そして、その答えを拾い出すのが量子コンピュータ。だから一見計算式がないように見える。



てことは、禅で無我になった時に出てくる見解も同じで、自然の計算式からはじき出された答えを頭脳が拾い出してる。

普通、頭脳が計算したり考えたりして答えを探そうとするから、自然コンピュータが使えなくなってる。

頭脳よりも、自然がする計算、これは禅では悟りと言うし、科学では量子計算というが、この計算の方が何十億倍速い。

宇宙は常にスーパー計算をしていて、必ず最適解を弾き出している、常に。

それがわからない人間は、自分の小さな頭で一生懸命計算しようとして狂った答えを出す。

その思考そのものが宇宙計算の邪魔をしているとも知らずに。

神の導きと同じ答えや。

無心になるとその宇宙コンピュータの出す答えが見えてくる。



坐禅は、その宇宙コンピュータにつながることで、

頭脳は、その答えの翻訳機や。宇宙コンピュータの弾き出す答えを翻訳する役割が頭脳。

無我がすごいんじゃなく、無我の結果出てくる宇宙コンピュータの答え。

量子コンピュータは、初めてその扉を開けようとする科学からの挑戦や。

─ 宇宙コンピュータの答えって?

答えは、目の前に展開してるやろ。

宇宙コンピュータが生産計画から管理計画まで立てて作ったもの。

目の前の現実。

その計算速度は、人間には測れない。

瞬間で宇宙の果てから果てまでを計算できる。

その宇宙コンピュータが作り出したものが、犬や。

趙州、狗子仏性。

─ それが見えるん?

人間の考える前の世界。

それが見えるよ。

簡単やないか。

この世は神がつくりたもうた笑笑

人は抵抗する。

頭脳が理解できないからね。

ところが、頭脳どころか、神のスーパーコンピュータは、人知を超えた働きをする。

その神とは、この身の事ってところがキリスト教とは違うなー。



この世界はね、

コンピュータの内部みたいに実体がない。

でも、働きだけを現象だけを見ていると、あたかも存在しているように見える。

内部はパソコンの中みたいに、何かが流動しているだけや。ものでもない何か。

人も星も何もない。

ディスプレイで宇宙を映し出してるようや。

コンピュータ自体やな。



自分自身も何世代も前の先祖や。そんで、これから生まれ出る将来の子孫が自分自身や。何も変わっとらん。

そーやったんや、これは。

アホな生き方をしてきたなー

Ayaさん、もっと深く坐ろうな。



苦しかったけど、解けたわ。

これ、大きいわ。

遺伝子とかDNAとか言うけど、それも最適解の一つに過ぎない。

子孫も先祖もないし、今の自分もない。

最適解のワンネス。

このワンネスに全てが最適解としている。

─ 公案バッチリ?

うん、(答えは)出せるやろ。

この見解すらそうや。

公案も最適解。

ワンネスとは、完璧な解、最適解のこと。

目の前の犬も。



─ (般若心経の)色即是空の色や、三藐三菩提の何とかがわかるって、どうわかるの?

現実の背後が見えるからさ。

因果の話もそうや。

因果とは、宇宙の方程式のこと。計算式のことや。

釈迦ですらその計算式から生まれてきてる。

だから、因果は絶対や。

量子コンピュータの計算根拠とイコールや。


─ 因果は絶対って?

そう、当たり前やな。神ですら因果に従う。

─ 神イコール因果やないの?

だから、因果に従う。

無法則ではないってこと。

ところが、この因果は、理性では解けない。



ZEN...One world One universe One space


[PR]
# by keiaya2015 | 2017-12-08 05:54 | 禅者の成長の歩み 2017

某坐禅道場で悟後の修行に励む在家禅者の個人的なブログ from2015◆伝統的な坐禅修行による奥深い体験と、山あり谷ありの成長の歩みをリアルタイムで記録しています◆「真の事実を見ようと思うと、無我を目指すしかない。悟る事が目的じゃない、最後のとどめは衆生無辺誓願度、禅もここに極まれり」


by サラリーマン禅者