生死の彼方

●要点●
思考の蓋が外れた時に本来の自己が見える。「答えしかない世界」ね、あれが展開する。宇宙というのは、そのままが答えで、それ自体が結論なんや。これは重要な事や。禅定に入ると、それが見える。

自分としては、おせっかいかもしれんけど、見えてない人に、別の世界がある事を伝えたい。というのは、どう考えても、多くの人が苦しんでる原因は、妄想的で実りのない事やから。そんなことしないでも、宇宙に任せ切って生きていく方がいい。成功失敗の問題より、生死の彼方の方が遥かに重い。

この生死の彼方の声をしっかり聴いていたんやな、イエスキリスト。そういう意味では、吉田松陰とか、西郷隆盛とか、山岡鉄舟とか、みんなこの声を聴いていた人らやな。この声を聴いて活動してた人達は、早死にしてる。これまで持ってた謎が解けたよ。なんでイエスはあんな無謀な行動に出たのか・・・

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禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから <<<

Kei ─
今日は深い見解(けんげ)あったよ。

思考の蓋。

思考の蓋が外れた時に本来の自己が見える。こういうことは言ったけど、前に、でもね、前に言ったときとは少し違ってね、A先輩が言ってた、答えしかない世界ね、あれが展開する。

つまり、それ以上に深く追求する事もない世界。そこが見えれば、思考の世界は完全な妄想と言える。

宇宙というのは、そのままが答えで、それ自体が結論なんや。それを更に悩んだり困ったりする必要はない。

Aya
─ 坐禅に来てる人は、みんなその答えを求めてるんやね。


そうそう、その通り。

宇宙というのはそれ自体が答え。

それ自体が結論。

これは重要な事や。



この目の前の結論を結論、答えとして受け取れない自我が困った奴やなあ。

禅定に入ると、それが見える。

答えしかない。結論しかない。

それが、真如ってやつやな。



─ ところで、禅定に入った時にそれが見えるって言うけど、どこで見えるの?お腹?

全体が目。

例えば、チ~~~ンって音がする。それは耳では聞かない。

チ~~~ンしかないので、チ~~~ンが聞いている。そのチ~~~~ンが結論、答え。聞いている耳が何か別の答えを持っているのではなくて、チ~~~~ン以外の答えはない。

このチ~~~~ンって何だろうと考える思考もない。思考があると、それは本来の自己でなく、妄想の世界。 耳とか聞くとかなんてものがあると、それも妄想の世界。

本来の世界には答えしかない。結論しかない。チ~~~~ンしかない。

言いたかったのは、思考の帽子が、ぽろっと取れる瞬間。

見性前は中々取れなかったけど、今はいとも簡単に取れる。

脱着可能。

それだよ。禅堂のみんなが求めるもの、その答え。公案修行が進んで見えてきた。

◇◇◇

─ ところで、話変わるけど、いい?

うん。

─ この間、(禅の世界の)見え方比べ競争じゃなくて、見えたものをどう伝えるか、それでどう人を救うかの方に関心があるって言ってたでしょ?真理というか、禅の世界をそのまま伝えても、ほとんどの人には救いにならないって。

そうそう。

─ 苦しんでる人に、「それは妄想です」って言ったって、なんの救いにもならないって言ってたやん。その辺、どうして行くつもり?

それ大事や。

自分としては、おせっかいかもしれんけど、見えてない人に、別の世界がある事を伝えたい。ヒント程度でもいいので、それを伝えたいね。

というのは、どう考えても、多くの人が苦しんでる原因は、妄想的で実りのない事やから。ネズミが巣の中で走り回ってる感じや。

そんなことしないでも、宇宙に任せ切って生きていく方がいい。成功しても失敗しても、その方がいい。成功失敗の問題より、生死の彼方の方が遥かに重い。



生死の彼方の事がわからないから、目の前の何かにしがみつく。

でも、現実には常に生死の彼方が本質である事を誰でも分かっている。そして、その生死の彼方からは、個人の損得などは無く、常に全体の調和を求める声だけが届く。というより、全体の調和しかないことが届いてくる。

それなのに、個々人は、焦って目の前の個人の事にしがみつく。

だからね、昔の国の為や、何か大事な事の為に死んでいった人に感動するのはそういうことや。個を捨てて全体の為に。

これは生死の彼方からの要請でそうなる。そのことをみんな知ってるから、そういう人に感動する。知っているというのは、常識のレベルで知っているという事でなく、深い心のセンサーで、生死の彼方の声を聴いているからや。

この声を聴いているものが「無位の真人」「本来の自己」という。

ようやく体験として見えてきたよ。



この声をしっかり聴いていたんやな、イエスキリスト。

その声の主を、神というんや。主がおる、生死の彼方に。頭で考える自分とはかけ離れている。

そういう意味では、吉田松陰とか、西郷隆盛とか、山岡鉄舟とか、みんなこの声を聴いていた人らやな。

この声を聴いて活動してた人達は、早死にしてる。

この声を聴かないで、自力の頭で打算的に動いた人たちは、出世して長生き。

これどういう意味か分かる?

イエスキリスト、ソクラテスは早死に。
孔子、釈迦は長生き。

─ 意味わかんないよ。孔子や釈迦が打算的?

自分が道を行うよりも、伝道に努めた。

イエスやソクラテスは自分で実行。

─ 自分で実行?

これまで持ってた謎が解けたよ。なんでイエスはあんな無謀な行動に出たのか。なにも磔にならなくてもいいのにという。

あの人のセンサーは超感度だったんだね、きっと。 だから、ほとんど思考なんて働いてなかったと思う。その生死の彼方からの情報にコントロールされていた。

そういう意味では、イエスキリストは、ちょっと他の宗教者とは違うかもしれないね。

そういう意味では、釈迦は科学者に近いかも。



結局、二元の世界から、一元の世界へ、その移行の問題。

禅の修行をしないと、それができない人もいれば、イエスみたいにもともとそのままの人もいる。そう言う意味では、釈迦も我々と同じで、修行しないとできなかった人や。

─ イエスのことそんなに知らんのに、なんでそう言いきれるの?

わかるもん。

─ 自信過剰?(笑)

それだけじゃない。

吉田松蔭とか、西郷隆盛とか、似たような人生や。そもそも命が軽い。使命の方が圧倒的に重い。

─ 時代的なこともあるやろうけど。

時代というのはまやかしや。

それは、現代人の知性がそれに比重を置いているだけでね。

─ でもさ、その使命って、妄想の世界の使命やないの?

違うね。

親が子を危機から救う時、妄想でなくて使命で動く。

それの拡大バージョンや。イエスとか。

妄想の世界の使命ならば、みんな妄想と知っていてアホらしいと思うから、誰も相手にせん。



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# by keiaya2015 | 2017-03-24 05:08 | 禅者の成長の歩み 2017


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Aya
─ 今日のテーマは?


Kei ─
テーマは・・・・禅

─ 笑。あたりまえやん。

"Stay hungry. Stay foolish." 
"It’s wonderful to have a beginner's mind."
by Steve Jobs

─ 初心のことって、スティーブジョブズも言ってたの?

これが話したかった。ゼンマインドの、鈴木俊隆さんの本にそういう事が書いてあって、ジョブズはあの本好きで読んでたから、仏教には初心という事があって、それは素晴らしい心なんだ・・・ってことをあちこちで言ってるね。ハングリー、アホであれってくらいに。まあ、初心はそれに似てる。

ジョブズが言ってるのは、それが仏教の教えにあるって意味で。その言葉はこう。

仏教には「初心」という言葉があるそうです。
初心を忘れずにいるのは素晴らしいことです。

There’s a phrase in Buddhism, ‘Beginner's mind.’
It’s wonderful to have a beginner's mind.


それを職場の会議で、さわりだけ使った。 ビギナーズマインドは、そのまま禅の事やし。

─ どういうこと?

初心=禅

─ なんで?

禅をするという事は、常にゼロポイントに戻る事。初心とは俗に言うところは間違っていて、要するにゼロや。

能の大成者、世阿弥が言い出したとされている言葉やけど、初心。それは、初心忘るべからず、やな。

─ 世阿弥の初心は仏教の初心と同じ意味?

もっと理屈っぽい。禅の意味では、単純や。

ビギナーズマインド。この英語表現が、昨日はウケたね。分かり易かったみたい。会議で「初心に戻って・・・」ってな話をしてたから、それを解く意味で話した。

初心は、ビギナーズマインドです、初心者の心ですって。

専門家になると、心が自由でなくなる。初心者ほど心は自由だと。


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# by keiaya2015 | 2017-03-23 05:16 | 茶話・禅話

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Kei ─
ムジ(無字の公案)の話。

無字とか隻手の声とか、かなり誤解してたかもしれんな。坐れば坐るほど、内容が変わっていく。

無字の「ムーーー」と、隻手の「声」とが同じものを指してる事とか、これは深く坐らないとわからんね。

父母未生以前の自己、とかね、これも「ムーーー」や「声」や。結局、隻手の声って、要するに、片手のままやん。ムーーって言っても、ムーーのままやん。父母未生以前て、それもそのままやんそれって。

それらは、全部、何かをする前のことやん。

Aya
─ わからん(笑)

つまり、何か、意識して手を加える前の事。考えて、これはこう、あれはこう、そういう事の前の状態。そこに目を付けるってことは、もうね、なんにも考えるなという事。それが本来の自己ってこと。

私はわかった。

─ 前からそう言ってたと思うけど、今さら?

深いんや、とにかく。「そのまま」ってことは、思ったより深い。

片手に音なんてある訳ないやん。片手の音を聞けってことは、音以前や。音以前になんかあるぞって言いたいわけや。ムーーもそうや。そのムーーは何かなんだぞと言いたいわけや。その何かは、名前がついてないから、その名無しの何かに気が付けと。

公案は全部それやな。

あえて、あり得ない事を言って、その事実、全ての前の事実に突き当たらせようとしてる。どんな言葉でも、事実に突き当たれば言葉は力を失うやろ。どんなに矛盾した言葉も、その言葉が意味を失うまで突き詰めるんや。

隻手の声。。。。これを突き詰めれば、隻手しか残らんやろ。

そいつが声を出すんやから。


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# by keiaya2015 | 2017-03-13 05:05 | 禅者の成長の歩み 2017

某坐禅道場で悟後の修行に励む在家禅者の個人的なブログ◆悟りとは、禅とは、坐禅修行とは… ブッダから途絶えることなく継承されてきた「禅」という究極の道を歩む修行者が、リアルな体験を元に語ります◆修行の歩みを記録して行くことを通して、伝統的な坐禅修行の奥深さと卓越性をお伝えすることを目指しています◆「悟りとは徹底的な否定の連続、だからどこまでも進んで行く」by Kei since 2015


by サラリーマン禅者