●要点●
『世界中のトップエリートが集う禅の教室』、ここに書かれてあることは知っておいた方がいいよ、禅を続ける人は。禅はあくまで人の幸福を目指すと言う理由がよくわかる。禅が利己的なニュアンスのものになるなら、それはもはや禅じゃない。禅は何もないことを目指すんやから、余計な物を与えるのはダメや。

真理に左脳も右脳も、見えるも見えないもない。法の伝承が必要ならば、それはそれでしていけばいい。でも、科学的で想像の及ぶものもある。要するに、慈悲なんだから(禅は、左脳的理解でも、それで救われるのならそれで良いということ)。見える者だけが真理に生きていて、見えない者は真理に生きてない訳ではないから。

今日の見解(けんげ)。あらゆる宗教もあらゆる科学も、一つのものを違う角度からつついて説いているに過ぎない。肝心なことは、全ては一つのものということ。そして、その一つは自分の中にあった。その一つとは呼吸であり手足であり。大腸菌でもあり、虫歯でもある。しかし、この説明も一つのものを別の角度で見た説明ということ。本当の意味では、何も話すことはないということになる。一字不説や。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Aya
─ 禅は、体験が全てではなく、左脳的理解でもええんちゃうかって話の続きが聞きたい。

Kei ─
真理に左脳も右脳も、見えるも見えないもない。

法の伝承が必要ならば、それはそれでしていけばいい。


でも、科学的で想像の及ぶものもある。要するに、慈悲なんだから。

見える者だけが真理に生きていて、見えない者は真理に生きてない訳ではないから。それこそ、天国も因果なら地獄も因果で、因果でないものはない。真理や。
これ、読み始めたけど、ここに書かれてあることは知っておいた方がいいよ、禅を続ける人は。

(井の中の蛙状態で)ものを見ていると本質を失うよ、多分。禅はあくまで人の幸福を目指すと言う理由がよくわかるよ。

禅が利己的なニュアンスのものになるなら、それはもはや禅じゃない。

一回読んでごらん。





今日の見解(けんげ)。

あらゆる宗教もあらゆる科学も、一つのものを違う角度からつついて説いているに過ぎない。

一つの事実、一つの宇宙を別の物差しを使って別の角度から測っているに過ぎない。

肝心なことは、全ては一つのものということ。


そして、その一つは自分の中にあった。その一つとは呼吸であり手足であり。

大腸菌でもあり、虫歯でもある。

それら全てが本当の自己である。


しかし、この説明も一つのものを別の角度で見た説明ということ。本当の意味では、何も話すことはないということになる。全ては剥き出しの一つなので。

しかしその一つは空っぽと言うしかなく、表面的には現象のみ。

無と現象や。


やはり、話すことは何もない。一字無説や。

─ このこと?



─ 「一字不説」と言う割には、よくしゃべってるけどね(笑) で、「禅が利己的なニュアンスのものになるなら、それはもはや禅じゃない」、これって、例えばどんな?

人に優劣つけたりとか、競争しだしたりとか。

禅は何もないことを目指すんやから、余計な物を与えるのはダメや。


─ で、井の中の蛙にならんようにってこと?

井の中の蛙はまずい。

A大先輩は、そんなこと言ってたな。色々見た方がいいって。


─ 本にはどんなことが書いてあるの?

まあ、普通のことやな。

とりあえず、ビジネスも徹底的に利他やって話になっとる。

頑張って自分のために働くとか、それは効果のないやり方で、時代遅れって。ビジネスの先端は、利他の極め方ってことになっとるって。アメリカのMBAのメソッドでも。最先端ビジネスが利他の応用。

これ、かなり興味深い。天国と地獄の話知ってるか?


長い箸を使って食べる場合、天国と地獄でどう違ってくるか。

10人のグループが二つある。それぞれのテーブルで食事をするんやけど、箸が1メートル以上あるものを使う。

天国グループは、向い側の人に食べさせてあげる。

地獄グループの人は、自分だけ食べようとして食べられんで飢える。


これが無我と自我のグループとして、無我のビジネスが成功すると。なぜなら、社会を天国にできるから。

禅やマインドフルネスはこのように応用されている。


でな、これはさ、禅堂の修行の目的と、何が違うねん?笑笑

同じやないか。

で、この考えは、私の仕事上の考え方とも同じ。

だからな、社会活動と禅は同じなんや。

見えるとか見えないではなくて、土俵が同じね。禅堂と社会と。

「仕事も禅」や言うけど、私は、社会は禅堂ってことになる。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-03-25 05:00 | 禅 in HEISEI
●要点●
帰家穏坐。この「家」ってところが大きい。「家」これは、無字でもあり、本来の自己でもあり、宇宙でもある。ここに帰って、穏坐する。これが禅。坐るというよりも、この家に安楽にいるということやね、本質は。だから、「行住坐臥が禅」と言うんや。そう、サイババもイエスも釈迦も孔子も(いつもその家にいる)。

(運命と霊性)─ 現象界では運命が決まっているの? 何もないところに、ロジックを持ち込んで、展開という概念を作り出し、そしてその展開のことを運命と呼ぶ。易がそれや。易者が使うのがその手法。そして、霊性には自由とか不自由とかないということ。行動にも、正しいとか間違いとかの枠がない。ワンネスの世界には、そんな概念はないから。現象の世界で、個別のものを見るから、自由不自由があって、正誤が出来るだけ。心の問題や。心は実在する。心には境目はない。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Kei ─
ブログのテーマは?

Aya
─ サイババの本(『理性のゆらぎ』)読まんとなあ。


帰家穏坐やな。今はこれがいい。

この「家」ってところが大きい。


「家」これは、無字でもあり、本来の自己でもあり。宇宙でもある。

この「家」ね。ここに帰って、穏坐する。これが禅。


坐るというよりも、この家に安楽にいるということやね、本質は。

だから、「行住坐臥が禅」と言うんや。


でも実は、人も動物も物も、全ては既に家にいる。家に居て安楽に住んでるのに、気が付かないでもがいてる。これが実体や。

「水の中に居て渇を叫ぶ」とはこのことや。白隠さんね。


─ なるほど。サイババなんかは、いつもその家におったんやろね。


そう、サイババもイエスも釈迦も孔子も。

今となっては、なんでこれがわからなくなっているのかが不思議なくらいや。


─ まあ、坐禅はすごいね。一般人にもその道を開いた。サイババやイエスや孔子は、瞑想をすすめてはいるけど、只管打坐については語ってないやん。あ、イエス自身は瞑想すら語ってない。


瞑想が特別なことではなかったんだよ、きっと。語るほどのこともなかった。

つまりね、「家」に安住しているのが当たり前の姿で、そこでもがいているのが異常ってこと。その異常者が増えてきたから、そういう聖人が現れてきた。異常者が増えてこなければ、聖人は要らないんだよ。逆なんだよ、発想が。

仏陀たちが凄いのではなくて、異常者が増えただけ。ここは難しいと思う、レベル高いよ。


─ サイババの本にそんな事が書いてある。悪い時代には、真理の復興のために聖者が現れるって。それって、異常者が増えるから、聖者が目立つだけってこと?


同じ意味やな。同じ事で、異常者が増えるとそうでないのが目立つ。黒という色が現れると白が目立つのと同じ話。真っ白の時は、白という意識すらない。聖人と異常者の関係はそれと同じ。

あえてそれを色分けすると、白=ワンネス、黒=分裂、こうなる。黒の分裂症みたいな異常者が増えると、ワンネスが目立ち始める。これが聖者や。

その程度のことなら、とっくに見えてるよ。私は。

見えてるのに、公案では一々かき乱すから腹立つ。笑





今日は、適当に話して早めに帰宅するわ。とにかく坐りたい。こんな時もあっていいよな。

─ こんな時ばっか(笑)

人生は短い。出来るだけしたいことをしたい。

─ スティーブ・ジョブズやね。

何も要らんけど、人生に納得はしたい。何も欲しくはないけど。

─ まだ納得してへんの?

空っぽになりきってないからなあ。


最近、いろいろあって、思いは加速しとるし、出来事も加速しとるけど、自分自身の思い切りがね。

パっ!と手放さないかん。

そこが難しい。色々考えてしまう。


この考えが要らんことやとわかっとるんやけど。もうちょいやな。

例えばね、(仕事帰りに行きつけのお店に寄るのも)楽しいけど、究極は自分の世界ではない。

色んなこと言ってみても、利害関係や。それを口に出してないだけで、私も。





※『サンカルパ』P345より 
現象に捕らわれ、実存を“忘れた”とき、われわれの意識は二元的となる。二元性に捕らわれた生命は、もはや自由ではない。・・・しかし、もともとわれわれの意識は、この“実存”と“自由の場”の只中にいるはずなのである。・・・「人びとの意識が物質に捕らわれたとき、このような知識は一時的に廃れる。だが、失われてしまうことは決してない。知識は、紙や書物の中ではなく、われわれの意識の中にある。・・・すべては、単一の生命の現れであり、全体として不可分の意識だ。そのもっとも深いレベルにこそ、英知があり、自由があるのだ」ナラヤン師のこの言葉は、深遠なヴェーダーンタ哲学のすべてを語りつくしていた・・・

─ 禅でしょ?

私やな、これ。

─ でしょ?笑 これを毎日体験してるんでしょ?すげーな、坐禅。

そーやな、たしかに。

─ すごいよ、坐禅は。サイババが日本の霊性に一目置いていたというのは、禅の存在かもね。でもね、昨日コメントした様に、人によっては、坐禅そのものよりも、アガスティアの予言とそのアドバイスなどが役立つ場合もあると思う。『理性のゆらぎ』の中でインド人の占星術師が同じようなこと言ってる。

理性のゆらぎ (幻冬舎文庫)

青山 圭秀/幻冬舎

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「(人間の運命は)決まっている。・・・その影響を免れることはだれにもできない。・・・ただし、それは現象界のレベルの話だ。最も深い霊性のレベルでは、神が自由であるように、人も自由だ。そのレベルに立った時、人は自由な選択を行い、なおかつ行動を誤ることがない。・・・霊性は、現象界を超越しているのだ。しかし人はだれもが、いわばその中間の段階で生きている。・・・普通に生きている人には、それ(占星学)は十分に有効だ」─ 『理性のゆらぎ』(P319)より


─ やっぱりインドはすごい。

Ayaさん、サイババにハマっとる。


これはさー、当たり前のことやんかー。いつも言うとるし。


あのなー、霊性には自由とか不自由とかないということや。行動にも、正しいとか間違いとかの枠がない。ワンネスの世界には、そんな概念はないから。


現象の世界で、個別のものを見るから、自由不自由があって、正誤が出来るだけ。


─ なるほど!


当たり前や。


心の問題や。心は実在する。


でも、これは、心眼でないと見えん。心眼開くと見える。


心には境目はない。



─ でさ、現象界では運命が決まっているの?


そうやな。敢えてロジックを持ち込むから、運命という発想が生まれる。


あのな、順番が間違ってるねん。何もないところに、ロジックを持ち込んで、展開という概念を作り出し、そしてその展開のことを運命と呼ぶ。


易がそれや。八卦とか易な。易者が使うのがその手法。


─ へーー 中国には詳しいね。インドはサッパリやけど(笑)


インドは釈迦や。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-03-16 05:00 | 禅 in HEISEI
●要点●
禅がわかった。二十四時間、無限に帰家穏坐なんや。無限に修行や。

心とは物質や。物質エネルギー。量子と言ってもいい。ワンネスの正体。Ayaさんの心と、私の心は宇宙の共通インフラで、一つのものや。宇宙共有のインフラと思えばええ。その実体が物質エネルギー、量子や。「本当の自分」とはその事を指してる。見えてきた。

(サイババなどについて書かれた)『理性のゆらぎ』の著者の他の本『サンカルパ』で、ヴェーダーンタ哲学について書かれてて、禅と同じやん、て思った。禅はやっぱりすごい。サイババみたいな生まれながらの天才か聖者ではなく、悩み苦しみを抱えながら生きている普通の人間を根本から救う!

「時空が無い」は基本やで。そんなもの意識せんやろ、日ごろ。「手がない」とかも同じやけど。自分も人もない。これなー、心やねん、答えは。 何もかもが心やから。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Kei ─
禅がわかった。

二十四時間、無限に帰家穏坐なんや。

Aya
─ どういうこと?

無限に修行や。


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心とは物質や。物質エネルギー。量子と言ってもいい。ワンネスの正体。

Ayaさんの心と、私の心は宇宙の共通インフラで、一つのものや。宇宙共有のインフラと思えばええ。

その実体が物質エネルギー、量子や。

「本当の自分」とはその事を指してる。見えてきた。


Aya
─ じゃあ、他人の心がわかるの?

分かる。同じやから。隣の家の水道の蛇口がわかるみたいなもんや、見ないでも。トイレや風呂も。


─ ほんとにー?サイババみたいやん。

友人の家に居候した時も、心くらいはわかったね。相手の家の人の。


不思議やったけど、謎が解けた。

共通インフラやからわかるのが当たり前なんや。

目で見ようとするから見えない。心で見ようとしたら見える。共有してるから。




─ Keiさん、すごいかも!!!ヴェーダーンタ哲学って知ってる?

え?知らん。


─ だよね。笑笑 インドの哲学。(サイババなどについて書かれた)『理性のゆらぎ』の著者の他の本『サンカルパ』(P345※)で、ヴェーダーンタ哲学について書かれてて、禅と同じやん、て思った。Keiさんのブログ負けてへんで!坐禅中級者やのに。てかKeiさん、中国思想には詳しいのに、インドはサッパリやね(笑)

※『サンカルパ』P345より
 現象に捕らわれ、実存を“忘れた”とき、われわれの意識は二元的となる。二元性に捕らわれた生命は、もはや自由ではない。・・・しかし、もともとわれわれの意識は、この“実存”と“自由の場”の只中にいるはずなのである。・・・「人びとの意識が物質に捕らわれたとき、このような知識は一時的に廃れる。だが、失われてしまうことは決してない。知識は、紙や書物の中ではなく、われわれの意識の中にある。・・・すべては、単一の生命の現れであり、全体として不可分の意識だ。そのもっとも深いレベルにこそ、英知があり、自由があるのだ」ナラヤン師のこの言葉は、深遠なヴェーダーンタ哲学のすべてを語りつくしていた・・・

サンカルパ―人の誇りと生と死と

青山 圭秀/三五館

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負けてへんか?

─ ぜんぜん負けてへんで!禅はやっぱりすごい。サイババみたいな生まれながらの天才か聖者ではなく、悩み苦しみを抱えながら生きている普通の人間を根本から救う!てか、また夜遊び?

職場の連中と飲みに来てる。大変なことや。

でも、Ayaさんの話、ええな。「禅は、サイババみたいな生まれながらの天才か聖者ではなく、悩み苦しみを抱えながら生きている普通の人間を根本から救う!」、、これええなー


─ インドのアガスティアの葉とか、占星術とかも興味深いけど、禅の方が私には強烈や。過去、現在、未来はないんでしょ?てか、空間までないとか言ってるしね。でもまあ、インド哲学も、サイババも、日本の禅の良きライバルや。

「時空が無い」は基本やで。

そんなもの意識せんやろ、日ごろ。


─ 時空がないという感覚は、未見性者にはわからん。

「手がない」とかも同じやけど。

自分も人もない。


これなー、心やねん、答えは。

何もかもが心やから。


●付け足し●

─ それにしても、聖者アガスティア、ありえん予知能力や。



すごいけど、やっぱり禅やろ。

─ 人によるかな。坐禅そのものよりも、アガスティアの予言とアドバイスが役立つ人もおるやろうし。

なんで、私は負けてへん?

─ インド哲学の内容を、そのまま体験しとるから。知識ではなく体験。しかも毎日、坐禅で。無限に帰家穏坐してる。

インド哲学の内容を体験しとるんか?

─ そうや。禅と同じやもん。要するにワンネス。ヴェーダーンタ哲学、勉強してみ。

してみるわ。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-03-15 05:00 | 禅 in HEISEI
●要点●
神が奇跡を見せるというなら、この生きてることが奇跡や。それが神の印や。でもな、そこからが問題やねん。最近な、「人が神」とか「時間や空間がない」とか、「花が自分自身」とか、まるで感動しなくなった。当たり前すぎて。だから、坐禅が楽しいんやで。合点したから。神の家に落ち着いて坐ってると落ち着くやろ。それだけや。目的なんてなんもない。禅は生活や。奇跡起こそうがどうしようが、生活や。ここが違う。

サイババは、神がかりや。取り憑かれたように生きた人生と思う。でも、サイババやイエスや孔子だけじゃないんやで、神がかり的に生きた人々は。神がかり的になる事って、意外とあるはずや。天がその人に何かをさせようとしている感じ。その天と言うのが、禅で言う本来の自分。でも、神がかっていない、そんな時こそ、禅なんや。禅で、神がかってない自分も、これでいいとわかるから。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Aya
─ 『理性のゆらぎ』読んでる。サイババの話はええよ。今の時代は、祈りや瞑想だけでなく、社会貢献も同じくらい大切やって(P125)。

理性のゆらぎ (幻冬舎文庫)

青山 圭秀/幻冬舎

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Kei ─
(瞑想や社会貢献も)同じことに思えるよな。だから、(坐禅だけにこだわる様な)話が狭く見える。


─ で、聞きたいポイントは、サイババが数々の奇跡を見せつつ、自分は「神の化身」と言っていることの意味を知りたい。禅的には、みんな神の化身、てことになりそうやけど、それだけでない気がするから。


化身じゃないよ、そのものだよ。

神が奇跡を見せるというなら、この生きてることが奇跡や。

それが神の印や。


─ サイババは、それも言ってる。


でもな、そこからが問題やねん。

最近な、人が神とか時間や空間がないとか、花が自分自身とか、まるで感動しなくなった。当たり前すぎて。

よく考えると、それくらいのことで驚いてないよ、昔から。


当たり前すぎるというのは、それ、わかるとかいうレベルでなくて、はっはーー、なるほどね!で合点して終わり。

理由は簡単や。それ以外の選択の余地がないから、合点して終わり。それ以上感動する理由もない。


だから、坐禅が楽しいんやで。

合点したから。

神の家に落ち着いて坐ってると落ち着くやろ。それだけや。目的なんてなんもない。





で、私は、禅を研究対象みたいに見るやり方には違和感覚える。

禅は生活や。

奇跡起こそうがどうしようが、生活や。ここが違う。


一つ質問やけど、サイババは、世の中をうまく渡ったとと思う?ここは鍵や。マザーテレサとか。


─ うまく渡ったと言えば、そうかなあ。尊敬を集めとるし。


そうは思えんけどなあ。

神がかり的に生きたと思うけど。少なくとも、研究とかではないよ。

神がかりや。取り憑かれたように生きた人生と思う。


でも、そうなるとな、サイババやイエスや孔子だけじゃないんやで、神がかり的に生きた人々は。例えば、A老師しかり、B老師しかり、や。


その手の人は、自分の考えがどうのとか、そういう生き方ではないはずや。取り憑かれてるように生きていくよ。


─ うん、それわかる。私も、レベル低いけど、取り憑かれてた時期はあったから。


それでな、そうなると、私は何人かそんな人には会ってきてるし、自分にもそんな時があった。

二十代。その時そこで出会った連中も、変なのばっかり。


神がかり的になる事って、意外とあるはずや。天がその人に何かをさせようとしている感じ。

その天と言うのが、禅で言う本来の自分。自覚できないけど、突き動かしてくるやつね。


─ 今自分が神がかってないこともわかる。


そう、神がかってない笑笑

そんな時こそ、禅なんや。

そんな時やから、禅がいいのさ。


─ なんで?


禅で、神がかってない自分も、これでいいとわかるから。

神がかるのは、何もアクティブモードだけじゃなく、静かなモードもある。

それが禅で現れる。


Aさんは、静かなモードの悟りや。何も不思議じゃない。あの人は、アクティブモードにならんだけや。神がかり的になっても。


私の見るところ、ホリエモンとか、あんな連中も、その種類と思う。たけしとかね。横山やすしとか。

成功とか失敗とかとは関係ない。神がかりには。一種、天が何かをさせる事やから。本人も、自分がどうなっていっとるのかわからんやろな。別の力で動いてて。

酔っ払いが気がついたら家で寝てるみたいなもんや。わからんのさ。スティーブ・ジョブズもね。




私と似てるな、サイババは。感覚が。

─ それはいいね。ところで、本来の自己に驚いていると言ったり、当たり前になっていると言ったり、どっちやねん?

どっちもホンマや。嘘はつかん。

to be continued..


衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-03-12 05:00 | 茶話・禅話

サイババと日本の禅

●要点●
インドのサイババ。昔から知っとる。その人ね、友達がインドに遊びに行った時に知り合った人。かなり影響受けてたね。サイババと私の禅が近いんか。知らんかったな。まあでも、真理は同じだからね。真理は誰にも属さない。ブッダのものでもキリストのものでも孔子のものでもない。この言葉はすごいよ。誰にも何にも属さない。

サイババの話は、昔から知ってたけど、自分の本質を説く禅ほどはなあ、、、自分の本質に驚いてるから。うまく言えんけど、自分の本質ほど凄いもんはない。これは確実や。どれくらい凄いかというと、宇宙ほどの凄さ。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Aya
─ サイババ、ホンモノやったみたいや。今さら知った。これ、読んでみてよ。




Kei ─
まじかー、知らんかった。


─ 311のすぐ後に亡くなって、葬儀は国葬だったんやって。禅、つまりKeiさんの言ってることと、サイババの言ってることはほぼ同じや。違いは、サイババは、サイババに完全に帰依するように言ってるところ。


サイババの言ってることと違わないのか?それはすごいね。

インドのサイババ。昔から知っとる。その人ね、友達がインドに遊びに行った時に知り合った人さ。かなり影響受けてたね。オーム真理教の元ネタだよ。オームって言葉最初に聞いたのその時だよ。


─ こうなると、禅とサイババの関係が気になる。

サイババは、ヨガの達人じゃないか?

─ さあ。わからん。

サイババのどこが私の禅と似てるの?

─ 言ってること。

近いんか。知らんかったな。まあでも、似るのはそう思う。

真理は同じだからね。


─ いやあ、インドはすごい。今更やけど。

日本もすごいけどな。

今読んでる『禅海一瀾』とか、すごいし。





─ どんな風にすごいの?

真理は誰にも属さない。

ブッダのものでもキリストのものでも孔子のものでもない。

この言葉はすごいよ。

誰にも何も属さない。


─ 公案になりそうやね?

多分、これがわかる人は少ない。

事実や。

ブッダにも属さない。


─ じゃあ、サイババはダメかなあ。サティヤ・サイババ、「真理の」サイババと呼ばれてる。

ダメとかじゃなくて、単なる事実や。


サイババの話は、昔から知ってたけど、でも、自分の本質を説く禅ほどはなあ、、、自分の本質に驚いてるから。

うまく言えんけど、自分の本質ほど凄いもんはない。これは確実や。

どれくらい凄いかというと、宇宙ほどの凄さ。


─ で、この本読んでほしい。読み終わったら貸すから。平成を生きたインドの聖人と日本の禅(禅者Kei)の比較研究をしたい!サイババに失礼を承知で。

禅が、ブッダ亡き後も、今現在も生きているように、サイババ亡き後もサイババは生きているのか、その辺も知りたい。



理性のゆらぎ (幻冬舎文庫)

青山 圭秀/幻冬舎

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「私は神です。あなた方も神です。私とあなた方の唯一の違いは、私はそのことを知っていますが、あなた方はそのことを全く知らないことです。」― サティヤ サイ ババ


これ、禅や。

─ でしょ?

まあ、真理は同じやから。

─ なんで、『理性のゆらぎ』買ったの?貸してあげたのに。

面白そうやん。

サイババ。


to be continued..

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衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-03-10 05:00 | 茶話・禅話

某坐禅道場で悟後の修行に励む在家禅者の個人的なブログです。伝統的な坐禅修行による奥深い体験と、山あり谷ありの成長の歩みを記録しています。「坐禅のすばらしさを伝えたい」そんな熱く純粋な思いでブログを更新中! 衆生無辺誓願度 (˘⌣˘)


by サラリーマン禅者