●要点●
我思う、ゆえに我あり(by デカルト)「我思う、これが既に自分ではない」というのが禅の見方やな。「思う」ってのは、思いだから。自己というのは、そんなフワっとしたものじゃない。私、自分、自我。それは、プラトンのイデア※や。事実の世界や自然の世界には存在しないやつ。自然 = 無我や!無我は居場所なんてないけど、自我にはある。自我というのは、知性、思考のあるところに発生するもの。

知性は、体やこの世界に生えたカビみたいなもんや。知性というのは、素直にその元であるこの未知の世界に運命をゆだねるべきや。知性はこの世界を知ることは出来ない。知性を育んでる体験が直接この世界を知るしかない。絶対的な真理は、経験にしかない。経験という名の真理。それ以外は全部仮想。わかる?


【一円相図説(更新版)】

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禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから


Kei ─
上の図と下の図をもっとシンプルにする。ちょっと難しいけど、はっきりとわかるように分けた。

要するに言いたいことは、自我の居場所がわかったということ。無我は居場所なんてないけど、自我にはある。自我というのは、知性、思考のあるところに発生するもの。

そもそも、思考や感じ方というパズルで構築した世界観自体がその人特有なので、自分と人という区分けを仮に設定してしまうところから生まれる。

事実の世界には特有なものは何もないので、あっちとこっちという区分け(をし)ようということすら起きない。


◇◇


我思う、ゆえに我あり(by デカルト)

「我思う、これが既に自分ではない」というのが禅の見方やな。

「思う」ってのは、思いだから。自己というのは、そんなフワっとしたものじゃない。


あの図の再構成をしないといけない。その辺のヒントにもなる。上の四角と、下の四角の中ね。あそこをちゃんと編集しないと。あれキモや。偉大な発見や。


◇◇


おはよう。

簡単やった、私、自分、自我。

それは、プラトンのイデア※や。

実際には存在しない「(完璧にまっすぐな)線」や「(完全な)三角」や「(完全な)四角」と同じイデアな存在。(※イデア=本来あるべき理想(想像上)の姿やかたち。完全に見える三角形や四角形(▲□)もインクの粒子が見えるレベルまで拡大すると、完全ではないことがわかる(飲茶さんの著書参考)。)

「仮想」と言ってたけど、少しわかりにくい感があった。プラトンのイデアそのものや。事実の世界や自然の世界には存在しないやつや。


自然 = 無我やったんや!自然界には我は存在してない。そういう、自然界から切り出したような物=観念は、全てイデア。

この場合、無とは自然のことと言ってもいいけど、自然をイデアみたいに見ちゃダメ。そのままでないと。


◇◇


Aya
─ ところで、坐禅はどう?


いいよ。かなり。

─ それはよかった。

この、『哲学的な何か、あと科学とか』、、、て本もかなりインスピレーション受ける。禅に影響あるね。

飲茶さん、おもろい。細かいこと言わなければ、この人も天才やな。言うことが正確や。ハイレベルで。

哲学的な何か、あと科学とか (二見文庫)

飲茶/二見書房

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自己とは何か、、、、
存在とは何か、、、、
無いとは何か、、、、

─ 影響を受けるって、表現方法ってこと?

いや、要するに哲学宗教と同じで、数学も物理学も、答えは空即是色、色即是空。確定できない。全く同じ問題を扱っている。

真理は無く、仮想の真理しか表現できない。

絶対的な真理は、経験にしかない。


でも、それが客観的な存在としては表現できない。Ayaさんが昔感じたかもしれない、軽い見性的体験は客観的に示せないのと同じ。

でも、そういうことが真理。そういう意味では、この世は真理の塊や。でもそれは、経験でしかない。経験という名の真理。それ以外は全部仮想。わかる?

経験には形もにおいも無い。経験には姿が無い。

─ でもさ、凡夫は、経験を自己流に解釈するでしょ?

解釈は仮想や。経験ではない。どうやらこのあたりが肝やな。

─ 凡夫は、即座に解釈するんやと思う。

坐禅の体験は真理や。解釈は仮や。

坐禅の体験、坐禅の解釈。

─ 凡夫は、なんらかのフィルターを通して世界を体験するんやろね。

フィルターというより、体験か解釈か、やろ。体験は頭を使わないけど、解釈は頭を使ってる。その差や。

言わば、体験は量子の世界やけど、解釈は学問の世界や。かなり違うで。

私はその差を身近に感じはじめとる。


まったく、観念や学問が体験を飲み込めると思っているのはまさに倒錯の世界や。知性がその元になってる体を制覇するという感じの話は倒錯。順序がおかしくなってるんやな。

知性は、体やこの世界に生えたカビみたいなもんやのに、それがこの世界を制覇するというのは意味不明。

知性というのは、素直にその元であるこの未知の世界に運命をゆだねるべきや。

知性はこの世界を知ることは出来ない。知性を育んでる体験が直接この世界を知るしかない。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-05-21 05:00 | Zen in REIWA

全ての本質、空

●要点●
「有」と言っても「無」と言っても、それに執着し、それが自己となる。全てが自己であり、特定の自己はない。それが自己の本質、そして全ての本質、空だ。この「 特定の自己はない」というところが、一番言いたい。

どんなものであれ、ことであれ、坐禅の前では木っ端微塵。何もかも。その木っ端微塵の中で、生きていく。そしてね、出会う全てが自分。右見ても自分、左見ても自分や。そしてそれも木っ端微塵。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Kei ─
自己の本質…

空、無、
石、花、山、川、星、月、太陽、
国、会社、肉体、精神、心、
オレ、アレ、コレ、
金、量子コンピューター、、、。

有と言っても
無と言っても
それに執着し
それが自己となる。

全てが自己であり、特定の自己はない。

それが自己の本質、そして全ての本質、空だ。

(2019.5.10 坐禅メモより)





この「 特定の自己はない」というところが、一番言いたい。





今後は自分がない坐禅、できそうやぞ。

すっかり自分がなくなりそうや。

Aya
─ 前からそうでなかったん?

いや、自分がなくなるってそんな簡単やない。修行積まないと。妄想、錯覚の力は根強い。

まあ、だからこそやり甲斐があるんやけどな、坐禅。





─ 自分がいなくなったり、自分がでてきたりしてるのに、自分がいないほうが本当やって、どうしてそう言えるの?

いない方が真実や。いないから。

それって、自分だけじゃない、花も自分がない。牛も馬も犬も猿も。

自分はないあるわけないよ。どこにあるんだよ。


川の流れと、体のあり方とどこが違う?時間差みたいなもんやろ。

主体という考え自体がそもそもおかしい。

全ては流れる水のようなものでしかなくて、ただ、速度は違う、相対的にはね。でも、相対的速度なんて意味ないよな、本質からすれば。

川の流れと、体の流れと、ダイヤモンドの流れ、速度の差だけ。同じや。

禅は凄すぎる。言語を絶する。





─ なるほど、禅はまずは体への執着を解き放つんやね。禅を特別視しすぎることも、執着やね。

そう、禅に執着したら、自分が禅になっちゃう。

─ それはそれで、また苦しみの原因やね?

その通り。

禅というのは、離れないといけないのさ。くっついてしまったらダメなのさ。

体が自分ではない、自分は無い!というところが一番大事。基本。





─ 今日の話で色んなことがわかってきた。例えば、「求めずただ坐るのが正しい」、これに凝り固まってもおかしくなるんやね。

そうそう、凝り固まるのがダメ。求めず坐るーーー!となって、それを求めるハメになる。

単に自己の本質を求めるだけや。


どんなものであれ、ことであれ、坐禅の前では木っ端微塵。

何もかも。

その木っ端微塵の中で、生きていく。


そしてね、出会う全てが自分。

右見ても自分、左見ても自分や。

そしてそれも木っ端微塵。

瞬間瞬間、全てが自分。

これが秘訣や。


瞬間瞬間、思うこと、見るもの、聴くもの、触れるものね、

何もかも自分だけど、

その中で決まった自分はない。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-05-14 05:00 | Zen in REIWA

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●要点●
国宝になるかもしれん図、人類の宝になる予定の図、この図は人を楽にするで。この図は、坐禅をすごく価値あるものにすることができるよ。全ての始まりは自己や。坐禅の位置がよくわかるやろ?みんなどうして道に迷うのか。なんで、坐禅に解決を求めるのか。

坐る意味は、あの図では一番下のところに回帰することや。そして立ち上がったら、またぐるっと一周する。現代の先端技術とかで生きる。生活する。でも、坐るとあの図の一番下にくる。毎日自分の心を掃除するんやな。坐禅で。固まらんことや。

(十牛図10図の)布袋さんは、テクノロジーも嫌がらない。それどころか、テクノロジーの行き着いたところで迷ってる人を助ける。皆ギブアップして、元の二元思考に迷い込む。そして更に逆流していき、テクノロジーで解決しようとする。究極が量子力学や。この図は部分が大事なんではなくて、この円形が大事なのさ。この円が完成して、やっとこの世界の全体が見える。これ、一円相の極意や。

こういう循環になっていることは、修行が進んでわかってくる。見性しただけのときは、その体験に囚われて、全体が見えない。見性体験と、8図の空は全く違う。8の空はこの図の一円相が完成した姿。8については、あくまで空、無。なんにでもなる。その時代の技術に応じてなんにでもなる超越的存在。これが本来の我々の姿なんやなあ、、、。面白いね、坐禅は。こういう趣旨で、この図は完成させたいね。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから


Kei ─
『史上最強の哲学入門』西洋編、半分以上読んだ。早いな、これは。まあおもろい。

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

飲茶/河出書房新社

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『哲学的な何か、あと科学とか』
『哲学的な何か、あと数学とか』

この二冊も読む。おもろそう。この人、一年おきに出版してるね。

Aya
─ 飲茶さんにハマっとるね(笑)『史上最強の哲学入門』西洋編の中に、「科学や数学が宇宙の真の姿を明らかにできない」って出て来るけど、今となっては当たり前のことに思える。

というか、わかったところまでが真の姿ってことね。わからないところは、わからないまま。問題は、わかったところまでで固まってしまうこと。

この飲茶さんの面白いところは、このあたりの話を、手を替え品を替えクドクド一生懸命書いてるとこや。その気持ちよくわかる。

作っては壊し、壊しては作るの繰り返し。結局、無と知識の往復になっとる。

無 ⇆ 知識

あの図の循環と同じ。

でも、それこそ坐禅の効用のいいところや。

─ どういう意味?

最近は、あの図の下のところ、事実ってところを的に坐っとる。ええ感じや。坐る意味は、あの図では一番下のところに回帰することや。

そして立ち上がったら、またぐるっと一周する。現代の先端技術とかで生きる。生活する。

でも、坐るとあの図の一番下にくる。毎日自分の心を掃除するんやな。坐禅で。

固まらんことや。

─ ところで、(手描きの)どの図が完成形?もう一回送って。紛失した。あんま興味なかったから(笑)

失礼やーー!
国宝になるかもしれん図やのに!
人類の宝になる予定やのに!

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─ ところで、この図はどこから始まるの?

どこからでもええねん。円相で、一体やから。

この図は人を楽にするで。

─ テクノロジーが、十牛図の9と10の間にあるのもわからん。

(10図の)布袋さんは、テクノロジーも嫌がらないねん。それどころか、テクノロジーの行き着いたところで迷ってる人を助けるねん。



これ、一円相の極意や。

赤い線のところで皆ギブアップして、矢印を逆流していき、元の二元思考に迷い込む。そして更に逆流していき、テクノロジーで解決しようとする。テクノロジーで解決しようとして究極が量子力学や。

ただね、ここで言うテクノロジーって、科学技術だけじゃないからね。言葉とかもテクノロジーの一種だし。その時代の先端技術。聖書を整理したりもテクノロジーや。神話を作るとか。

─ なるほど。で、逆流の矢印もないし、なんだかようわからん。この図、ちゃんと説明しないとわからんよ。

本来なら、矢印のように進まないといけない。説明したところで、たぶんわからん。

─ 見性は3図(見牛)あたりやないの?

見性は、1~7図までの間。その意味の見性というのは、修行中のことや。坐禅修行中。でも、赤の矢印の8図(一円相)は違う。そこは、生まれたての赤ん坊みたいな。先入観とかを突破できるところ。

─ それって、3図の見牛やないの?

いや、3の見性体験がないと、毎晩8を通過することは無理や。毎晩というか、毎回の坐禅。

─ さっき、見性は、1~7図までの間って書いたやん。言ってることがわからん。

修行としての見性ね。見性出来たり出来なかったりするのが、1~7。時に見えるが、時に見えないとか。

─ あーなるほど。



この図は部分が大事なんではなくて、この円形が大事なのさ。この円が完成して、やっとこの世界の全体が見える。

そういう意味では十牛図は中途半端。9~10がものすごく複雑なのに簡略化しとる。実は1~7が簡素で、8,9,10が凄い複雑や。

─ どう複雑なん?

8の無や空を実体化する働きやから。1図の迷える人にも目に見えてわかるように8図の布袋さんは現れとる。

たとえば、この布袋さんは、現代ならスマホみたいなもんや。現代版布袋さんはスマホ。

スティーブ・ジョブズは、右半分の道を選ばずに、左半分の道を選んだのがよくわかる。

スティーブ・ジョブズ = スマホ = 布袋さん。



要するに、なぜ坐禅が大事かというと、この一連の流れを理解するには、右半分の道が必要だからさ。左だけなら、量子力学で終わる。

─ なんだかよーわからんが、わからなくもない。スマホは、世界が繋がってることを見える化したものやから?

スマホはワンネス世界を、1図の迷える人に提示した。

あの布袋さんの手にスマホが載っていると思いなよ。

イエスならば奇跡や。

あの布袋さんがイエスなら、さしずめ奇跡を示しているところや。現代では科学者がそれや。



問題は右半分。右半分は、科学者が究明できない領域に踏み込む。それが8図の矢印。

つまりね、8の領域は科学者にはわからんけど、実は、それって自分自身のことなんや。

自分自身がそうだってことがわかるのは、禅。

量子 = 自分自身。

それが一番下の四角のところ。

─ それって、見性ではわからんの?

簡単な見性だけでは何のことかわからんし。自分の経験がわからんし。

こういう循環になっていることは、修行が進んでわかってくる。見性しただけのときは、その体験に囚われて、全体が見えない。

でも、その1~7の間に経験する見性体験も、8を超えてくると囚われだったことがわかり始める。

1~7の間の経験は、ビックリ経験みたいなものや。

見性体験と、8の空は全く違う。8の空はこの図の一円相が完成した姿。8で示されている円は、この図の円が完成した姿や。



9,10は子どもでもわかる。ただし、条件があって、8がクリアできている場合ね。だから子どもは8,9,10の複雑なプロセスも簡単に見えている。

大人は、知識で9,10は理解できても8がダメなので、その結果、ものすごい複雑な9~10になっていく。

子どもはある意味では、8のところを難なくすり抜けるのだけど、成長していくに従い、8のところが詰まりだして、最後には閉塞する。

そうなると、7から逆に流れ出す。7 ⇒ 1 へと。そして10に行き、9に行く。これが量子力学の流れや。科学の流れ。

─ 9が量子力学とか?

そう。で、答えとしては、量子は理解できないもの!となっている。つまり、8や。

8は自分自身やから、禅で極めるしかない。



─ で、Keiさんは、正しい矢印で量子力学を理解したってことやね?

そうや。

─ やっとこの図が面白く見えたきた。笑

もしかすると、私は、8が詰まったことがないのかも。幼児期から。量子力学の話に全く違和感持たなかった。

─ でもさ、逆流で9まで行くのもすごいね。

凄いと思うよ。

─ 知性が優秀な人しか行けん。

というかね、結局、その時代のテクノロジーに限定されているということや。

石器時代は最新の石器に限定されて世の中を理解する。

農業、工業、そしてハイテク。それ以外の世界というものはなくて、つまり8の空の世界をその時代の技術で具体化する。

だから逆流しても、それはそれですごいんやけど、あくまでその技術に限定される。

だから昔は神話だったものが神になり人間になり、そして量子になり。つまり超越的な存在が、その時代のテクノロジーに応じて変わって行ってるだけ。



8については、あくまで空、無。なんにでもなる。その時代の技術に応じてなんにでもなる超越的存在。

これ、菩薩でそんなのいたよな?千手観音菩薩?何にでも姿を変える菩薩。これが本来の我々の姿なんやなあ、、、。面白いね、坐禅は。

こういう趣旨で、この図は完成させたいね。



見性が一円相じゃないんだよ。この図のようなのが一円相なんや。

見性体験というのは、この先に何かあるぞ、、、!と自分で体験的にわかること。そして修行を積んで、一円相にたどり着く。

たどり着いてみれば、元に戻ってくる道がある。ぐるぐると。


●付け足し●

Ayaさんも、見性体験しとるんや、軽く。それがちょうど1~7図のところ。だから、その先に何かある事がわかったので、坐禅の先に赤線の場面があることを確信しとるんや。

さらに言うと、その赤線のところを確信したまんま宙ぶらりんみたくなって気持ち悪いんやないかな。

それでわかるように、Ayaさんが目指すのは見性体験じゃなくて、坐禅を習慣化して、その全体像が見えるように坐ることや。

ガイダンスとしてはこの実態が見えたら十分や。坐り続ければ次第に明らかになってくる。

この図は、坐禅をすごく価値あるものにすることができるよ。

全ての始まりは自己や。

─ この図は、人を楽にするとか、坐禅をすごく価値あるものにすることができるのってどうして?

坐禅の位置がよくわかるやろ?

みんなどうして道に迷うのか。

なんで、坐禅に解決を求めるのか。

─ 図、出来上がったよ。

まあ、国宝作成作業やから慎重に。

─ 明日アップする。

明日公開??拝観料もらおう。

ついに国宝完成か、、、空海の曼荼羅以来の快挙や。


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衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-05-08 05:00 | Zen in REIWA
●要点●
『ホモ・デウス』の著者、かなり深く禅をやってるよ。でないと、こんな本は書けんな。禅が深まると、人間がいると考えるのも単なる一つの見方に過ぎなくなる。

人間は量子そのものやから、いくらAIが知識を駆使しても、量子である人や動物や物を超えることはできない。そこを悟らせる禅がこれからの時代を先取りする。、、、一生懸命坐らないといけないってことや。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Kei ─
デウス読み終えたけど、著者の後書き(謝辞)の冒頭で大事なこと言うとる、この人。

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ユヴァル・ノア・ハラリ/河出書房新社

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ヴィパッサナー瞑想の技法を手ほどきしてくれた恩師サティア・ナラヤン・ゴエンカ。この技法はこれまでずっと、私が現実をあるがままに見て取り、心とこの世界を前よりよく知るのに役立ってきた。過去15年にわたってヴィパッサナー瞑想を実践することから得られた集中力と心の平穏と洞察力なしには、本書は書けなかっただろう。(『ホモ・デウス』)

これ。

これが答えやな。

この人、かなり深く禅をやってるよ。でないと、こんな本は書けんな。





私は答えがわかった。そもそも人間がいるという前提に立ってるから、今の人間は。

でも、禅が深まると、人間がいると考えるのも単なる一つの見方に過ぎなくなるから、それだとこんな本も書けるようになるよな。

しかも、最後は不可知やし。



結局、知識なんてものはいくらAIに渡してもどーでも構わんてことなんや。

なぜなら、人間そのものが量子コンピュータなんやから!

知識の価値なんて低いんや。それより、瞬間的なもの、それが量子の得意なところ。



人間は量子そのものやから、いくらAIが知識を駆使しても、量子である人や動物や物を超えることはできない。

そこを悟らせる禅がこれからの時代を先取りする。

悟ることのできた人々だけが、デウスになるってことか、、、。

悟ることのできない人々はAIにコントロールされる。

、、、一生懸命坐らないといけないってことや。





Aya
─ 「人間は量子そのものやから、いくらAIが知識を駆使しても、量子である人や動物や物を超えることはできない」、ここ、もう少し説明が欲しい。

AIの知識は実物ではないからね。仮想事実や。

ところが人は量子や。

禅でそこを悟ることが重要になる。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-05-05 05:00 | Zen in REIWA
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●要点●
科学技術が進めば進むほど、真理、ワンネスに近づく。『ホモ・デウス』の言う「全てがデータ化される」というのもそうや。データのみの世界とは、つまりワンネス。その時に個人主義は消える。民主主義も自由主義も必要なくなり、消える。

そして、科学技術の進歩に合わせて、理性が哲学や思想や宗教を後付けで作り出す。でも、人はその後付けの哲学や思想や宗教の方しか理解できないから、そっちに注目して、そっちが先だったように錯覚起こす。

禅は先端テクノロジー。左脳の役割はテクノロジーやなくて、思想、宗教、哲学や。テクノロジーも禅も、右脳や。量子の世界が理解不能と呼ばれる理由はそれや。テクノロジーの究極の量子技術は、左脳では理解不能、右脳のワンネスでしか捉えられない。

令和は禅とテクノロジーが手を結ぶ。禅とテクノロジーの共通点、それは飽くなき無常への挑戦、過去の固定観念の突破、離脱!

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Aya
─ おっ!UFOや! 「日本にUFO襲来、現行法で空自どう対応? 米海軍は目撃マニュアル作成へ 」

Kei ─
これねー、これが表沙汰になるとエネルギーの利権とかがメチャクチャになる。燃料ビジネスに絡んでる。

─ UFOとエネルギーの利権がなんで関係あるの?

UFOのような飛ばし方をするときは、無限エネルギーが必要。その開発は実はできるらしいけど、そうしたら、石油王たちがダメになる。

空中からでも電気取り出せるからね、今。電気の応用が飛躍的に変わる。

─ どこで、そんな情報を?





結局、『ホモ・デウス』の言ってるように、思想や宗教や哲学より、科学技術の進歩に合わせて思想や宗教や哲学が変わっていく。

今だけじゃなく、大昔からそうなんやな。古代から。そういう視点がなかっただけで。

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ユヴァル・ノア・ハラリ/河出書房新社

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えらく重要なことに気がついたよ。

結局、技術が進むと、真理に近づく。

その歩調に合わせて、理性が哲学や思想や宗教を後付けで作り出す。

でも、人はその後付けの哲学や思想や宗教の方しか理解できないから、そっちに注目して、そっちが先だったように錯覚起こす。


─ UFOと資源の話、どこからのネタ?信頼できるん?質問に答えてよ。

いや、今はこれを書き出さないと忘れる。インスピレーションはその時にしか出てこないから。後で思い出せない。その時切りのもの。

質疑応答で出せるものは、悟りじゃない。悟りはその瞬間だけ。

─ はい。言いたいことをどうぞ。





わかったことは、「技術」は「ワンネス」とイコールということ。

ワンネスの別の姿が技術や。科学技術や。

ワンネスの一側面ね。だから、科学技術が進めば進むほど、ワンネスに近づく、そっちの方向に行く。

思想や哲学や宗教が後付けってのは気づきや。

─ 今のスマホやインターネットの時代がそうやね。ワンネスに近づいてる。

それだけじゃない。『ホモ・デウス』の言う「全てがデータ化される」というのもそうや。

全てがデータ化されて、命も魂もなくて、データのみの世界とは、つまりワンネス。

個人もない。その時に個人主義は消える。民主主義も自由主義も必要なくなり、消える。



こんな感じやな、

【事実】 ← 【テクノロジー】 ← (( 思想、宗教、哲学 )) → 【禅】 → 【事実】



掴んだ事実によって、思想、宗教、哲学が出来てくる。

禅はテクノロジーを介さないで事実に近づく方法なんや!

だから、別にテクノロジーで近づいても同じ結果や。


問題は、禅もテクノロジーも一般人にはわからないから、思想、宗教、哲学の形で一般人にもわかりやすく伝えるんや。

だから、ある意味では禅を極めた人は、先端テクノロジーの科学者と同じレベルの人なんや。

どっちにしろ実用化するのは、技術者やけど。


謎がまた解けたよ。

禅と世界がつながった。

禅は先端テクノロジー

完璧や!


左脳の役割はテクノロジーやなくて、思想、宗教、哲学や。

テクノロジーも禅も、右脳や。

量子の世界が理解不能と呼ばれる理由はそれや。

テクノロジーの究極の量子技術は、左脳では理解不能、右脳のワンネスでしか捉えられない。

─ 禅 in HEISEI の山場やね(笑)

そーや!

令和は禅とテクノロジーが手を結ぶ。



禅とテクノロジーの共通点、

それは

飽くなき無常への挑戦、

過去の固定観念の突破、離脱!

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これが辿り着いた道。

上半分が左脳世界、下半分が右脳世界。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-05-01 05:00 | Zen in REIWA

某坐禅道場で悟後の修行に励む在家禅者の個人的なブログです。生命、宇宙、科学、宗教、哲学など根源的なことに関心を持つすべての人へ! 令和は禅の時代、坐禅の奥深さと素晴らしさを伝え続けることができるよう、精進してまいります。衆生無辺誓願度 (˘⌣˘)


by サラリーマン禅者