●要点●
自分の中に道に外れたものは一つもない。それが本来の自己だ。無だ。私は、ついに自分の中に月を見た。雑念が消えれば見える。でも、雑念があっても、月は消えたわけしゃなくて、常にそこにある。これが、曇っても晴れても富士の山って事やな。山岡鉄舟が言った言葉ね。見性時に。これは、雑念があろうがなかろうが、真理は変わらんて事。これがハッキリわかれば、何も怖いものはなくなる。

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山岡鉄舟
1836-1888

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Kei ─

自分の中に道に外れたものは一つもない。

それが本来の自己だ。無だ。


「夜空に浮かぶ月 = 自己」と云うのはこの事。

道から見れば、月と自己とは同じなのだ。


自己の本質はピュアな道、無、空、全宇宙だ。

意識をこの道と一つにするべし。

(2019.1.20 坐禅メモより)


Aya
─ どうやって一つにするの?



成り切る。


◇◇◇


─ 坐った。雑念坐禅。でも、なんかええ。


雑念坐禅、笑笑

別にええねん。それで。


─ そうなん?


そう。


私は、ついに自分の中に月を見た。

雑念が消えれば見える。でも、雑念があっても、月は消えたわけしゃなくて、常にそこにある。



これが、曇っても晴れても富士の山って事やな。山岡鉄舟が言った言葉ね。見性時に。

これは、雑念があろうがなかろうが、真理は変わらんて事。



雑念で見えなくなっていても、それは雲で遮られているようなもので、その後ろには真理がいつもあると言う事。

すごいやろ、これ?

これがハッキリわかれば、何も怖いものはなくなる。


─ ええねえ。だから、雑念坐禅でも、気持ちええというか、止めれんのかもね。


その通り!

それでいいのさ。いつの日か、その後ろが見える日が来る。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-01-23 05:00 | 禅 in HEISEI
●要点●
自己の存在の根拠は、この全宇宙だと思えばいい。これが真実や。ワンネスとはこのことや。どうも、理知が働くと、自分はどこの誰べえで、こんな程度の存在だと勝手になりがちや。これこそ自我で、矮小化した自分のイメージを作り出している。見性は、その理知の作り出したイメージから抜け出る体験やから、無の自己になる。大宇宙が現れた姿となる。

思考や観念、創造性はワンネスでありえる。方向性がワンネスなら、思考自体は自我でなくワンネスそのものや。ただ、思考が澱んだりわだかまったりしたら、そいつが自我になる。澱まなければ、理知の働きも自我ではない。それは、普通に風が吹いたり水が流れているのと同じこと。

「澱み」は行き場を失った思考や。「知」の扱い方を間違うと澱む。孤立した人は澱みやすい。ただし、一人で山に篭ってても澱まない禅者もいるし、街の中にいても澱む者もいる。その違いは、自分の中に求めるか、外に求めるかや。自分の中に全宇宙があるから、そこと繋がっている人は、思考が澱むことはない。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Kei ─

今朝の見解(けんげ)。

自分は全宇宙の現れ。
全ては全宇宙の現れ。

自己の存在の根拠は、この全宇宙だと思えばいい。

これが真実や。

ワンネスとはこのことや。


Aya
─ 「自己の存在の根拠は、この宇宙」って表現がいいね。



どうも、理知が働くと、自分はどこの誰べえで、こんな程度の存在だと勝手になりがちや。

これこそ自我で、矮小化した自分のイメージを作り出している。それを取り除けば、全宇宙の現れ。


普通の人はこの飛躍を起こせないけど、見性では起こる。


もしかしたら、人間の理知に変わって、コンピュータやデータが管理するようになると、直ぐにこの飛躍が起こるのかも。


─ へーー そしたら、『ホモ・デウス』の世界も悪くないやん。


うん、少なくとも、そのデータの中では個性は意味をなさないね。みんなが一つの星みたいになる。

星は自我を持たない。

人間は理知の力で自己をイメージするから自我ができる。

そこなんだよ。


見性は、その理知の作り出したイメージから抜け出る体験やから、無の自己になる。大宇宙が現れた姿となる。





─ この間話してた、「よどんでる」って表現ね、すごくわかりやすいね。自我意識もよどみだし、反ワンネスな思考もよどんでる。これはね、見性できないにしても、参考になる。日々の生き方のね。


そーやろ。言葉の問題は大きい。「迷い」とか言われると誤解する。


─ そうそう。


澱み、滞る。

滞り。





自我を波とか雲とか、思考とか観念とか、そういう捕らえ方をしている時は違和感があってね。どうして、思考や想像という人間の力や特性まで自我って言うネガティブなイメージにならなきゃいけないのかって。


でも、謎は解けた。思考や観念、創造性とかはワンネスでありえる。方向性がワンネスなら、思考自体は自我でなくワンネスそのものや。


ただ、思考が澱んだりわだかまったりしたら、そいつが自我になる。というか、そういう状態を指して自我って言うんや。


─ 「よどみ、淀み、澱み」は、キーワードや。これで色々わかることがある。


鍵やな。キーやな。

澱まなければ、理知の働きも自我ではない。それは、普通に風が吹いたり水が流れているのと同じこと。


澱みがある場合、それが、ワンネスからすると、シコリのようになっている。ワンネスからすると障害になっているように見える。見えるというか感じられる。そこがポイントや。


─ わかるわかる。一緒にいて疲れる人は、澱んでるんや。澱み方が合わないというか。


そう。澱み方が合っている人同士は、その澱みをどうにかしようというところでベクトルが合うから、それほど自我を感じないで済む。

ところが、ベクトルの合わない澱み方だと、個性にきつい人となって、合わない。それを自我と認識してしまう。


正体は、ワンネスではない澱み部分の存在。気の流れというか。


この澱みのない人は、取り付く島のない人や。スカスカ。元気で空っぽのイメージね。こういう人がワンネス的やな。


─ で、「澱み」は、実際に感じることができるものや。自分の会話がよどみがちになる時、なんかわかる。特に初対面の人や目上の人との会話ね。


その澱みを開放するには、見性やな。


その澱み、理知のレベルでおこっとるからね。ないしは、深い無意識、幼児体験とか。必ず引き金がある、自分の中に。澱みの引き金、開放の引き金。これは見性者にとっても助けになる。


─ 「淀む」は、とどこおる、水流がゆるくなる、という意味。「澱む」は、(どろ、かすなど、固形物がたまって)とどこおる、という意味。淀む、澱む、編集する時どっちにする?


同じやな。

淀む=軽度、澱む=重度





─ 「よどみ」の話はね、かなりためになる。体を意識できると、余計な緊張がほどけたりするのと同じで、よどみが感じられると、開放に向かう感じがする時もある。


それいい感じやな。

例えば、酒を飲んで騒いだり、カラオケ歌って騒いだり、要するに心の澱みを発散しようとしてるわけやろ?

だから、その澱みの正体がわかれば、とてもいいわけや。


─ 澱みの正体は?なんで澱むんやろね。


行き場を失った思考や。

孤立した人はそうなりやすい。


─ 開放するには?


思考の正体を知ること。体験的にね。

坐禅中にもそれはできる。というか、それがメインやな。


─ しつこいけど、思考や澱みの正体は?


「知」や。

難しいやろ?

知の扱い方を間違うと澱む。


孤立は澱む。

ただし、一人で山に篭ってても澱まない禅者もいるし、街の中にいても澱む者もいる。


その違いは、自分の中に求めるか、外に求めるかや。

自分の中に全宇宙があるから、そこと繋がっている人は、思考が澱むことはない。

人だかりの中にいても、自分の中の宇宙と繋がらない人は澱む。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-01-18 05:00 | 禅 in HEISEI

禅の大道、孔子の道

●要点●
自我の妄想は、かなり根深い。ちょっと油断すると、反ワンネス(= 反「空」「無」)の妄想が起動する。この辺り、修行が永遠に続く訳やな。長い間の人類の習性が、なかなか解脱を許さない。

「妄想」の特徴は、反ワンネスなこと。妄想の妄想たるゆえんは、ワンネスということが見えないで、真実とは違う世界をイメージするところにある。キリスト教でいう悪魔の存在はこれだと思う。例えば欲望に取り付かれて人を人と見れなくなる妄想。真実からすると、虫けらでさえ自分と同等に見える。

心に囚われるな、それはすぐに流れ去る。「時間」や「空間」や「生」や「死」。その本質が見えたら、残るは「空」や「海」や「無」(や「ワンネス」)。これは、実際には捉えられないが、心の分別を遥かに超えて、目の前にある。つまり、銀河も指先も、「空」から見れば同じ雲。区別の必要なし。そのようなものが道、大道なんや。

(『禅海一瀾講話』によると)シュウレンケイ(周濂渓)という儒教を復興した中国の人が、そのはじめに困って禅僧に教えを請うて、それがきっかけとなり復興したらしい。大昔の孔子の道を復活させるヒントを得たのは禅僧からってのがすごいわ。孔子の言う道と、禅の大道は同じや。禅の指導者は、孔子の言う道を説くことができる。それにしても、禅は凄いな。根本やな、禅は。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Kei ─

海と波、
空と雲、
禅と儒教、
仏教と科学、
真実と妄想、

この関係わかる?

Aya
─ うん。海、空、禅、仏教、真理がベースにあるんでしょ?ベースの中に、波、雲 儒教、科学が浮かんどる感じ?


派生的にね。それだけを示そうとしてもなかなかできない。ベースの方ね。だから派生的な方を示す方がわかりやすい。科学もそういう事やな。

ベースがわかれば、どれも矛盾してない、妄想すらも。これらを分けようとするからおかしくなる。派生してるってことが肝や。

空 = 海 = 無、
雲 = 波 = 心。

このテーマやな、次は。





心に囚われるな、それはすぐに流れ去る。

「時間」や「空間」や「生」や「死」。その本質が見えたら、残るは「空」や「海」や「無」。


これは、実際には捉えられないが、心の分別を遥かに超えて、目の前にある。

つまり、銀河も指先も、同じ雲。空から見れば。区別の必要なし。

そのようなものが道、大道なんや。


とんでもない話や。これは、確かに一回死なんと分からんわな。





「銀河はこの指や」と表現してたけど、「雲」と言いたいねん。

どこまでいっても、所詮は「雲」やと。

言い方が大げさで、かえってわかりにくい。

大小を超えれば、わかるよね。


─ ん?

時々言うやろ、「この時計が宇宙や」とか。

つまり、それは、宇宙も時計も「雲のカケラ」って言いたいんや。


この場合、空の定義が難しい。

なんと言ってみても、それよりデカイものが空なんや。

最大無限の空。


その中にあるものは、銀河であっても雲やと。

この「最大無限の空」の事を「無」と言う。





ここまできたら、後一歩や。

読んでる本に、ついに出てきた。

禅海一瀾講話 (岩波文庫)

釈宗演/岩波書店

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シュウレンケイ(周濂渓)という儒教を復興した中国の人が、そのはじめに困って禅僧に教えを請うて、それがきっかけとなり復興したらしい。

安岡正篤さんは、この流れで勉強してるから、結局、安岡さんも禅なんや、その元は。

大昔の孔子の道を復活させるヒントを得たのは禅僧からってのがすごいわ。


孔子の言う道と、禅の大道は同じや。

禅の指導者は、孔子の言う道を説くことができる。





「虚空=空」から見た場合、この指先も大銀河も同じ雲の一片に過ぎないってこと、わかる?

で、安岡さん、結局は、見性してない。学問的な悟りまでや。

てことは、、、。あの人の本をたくさん読んだけど、そこについては語ってない。シュウレンケイのことについても何度か読んだけど、そこについては触れてない。触れてたかもしれんけど、見性悟道とは言ってない。

でも、シュウレンケイは明らかに悟りのことについて描き残してる。


─ 周濂渓(シュウレンケイ)?



そう。太極図説とかね。

面白い発見や。


安岡さんが、なんでシュウレンケイの弟子あたりからの話からスタートしてるのかの意味もわかった。シュウレンケイの先は禅の話になるから、安岡さんの専門外なんや。

おもろいは、これは。

─ 色々わかってよかったね。今北なんとかさんの本(『禅海一瀾講話』)読んでるの?

そう。安岡さんの前の時代の人やから、凄いわ。まさに、西郷さんとかの時代。安岡さんが小さく見える。


それにしても、禅は凄いな。

根本やな、禅は。

今から三回坐るよ。


◇◇◇


凄い進展や、見解(けんげ)。


「妄想」についての見解、少し変更しないといけないかも。

ワンネスが真実、

ワンネスに反する考えが妄想。


でも、そもそもワンネスに反する妄想も、ベースはワンネス。なぜなら、ワンネスが無ければ、対立もない。

対立観念は、ワンネスの基本が無ければありえないやろ。だから、妄想ですら、本来はワンネス上の錯覚なんや。


結局はワンネスに行き着くから、途中対立観念の妄想で苦しんでも大丈夫。ワンネスがあるから、対立の妄想が生まれてる。

─ 行き着くんかなあ、みんな。

行き着く。行き着かなければ発狂する。

そして楽になる。笑笑

そんな形でワンネスに行き着く。


この世はね、雲の中や。

過去も未来も、ここにあって、死んだ人も、これから生まれる人たちもここにいる。それから、生きとし生けるもの全て、物すらも自分の先祖や未来の自分や。





だいぶん解明できたぞ。

この辺、名前のつけ方をよく考えないと分かりにくくなる。

─ 例えば?

理知 = 雲、波、

真実 = 無、空、


理知 = 雲、波、銀河、

真実 = 無、空、海、宇宙、


「真実は何もない」と言うところが肝。


ワンネスは雲とか波ではなくて、何もないことの別称。何もないでは訳がわからないから、ワンネスと言う。ワンネス = 空っぽ、無、空、





真理 = 空、海、無、宇宙、、、、

思考・妄想 = 雲、波、現象、銀河、、、、、

そしてワンネス。区別ができない真実。


この中で妄想だけが少し異色。妄想の特徴は、反ワンネスなこと。


所詮はワンネスだから反ワンネスがあり得るんだけど、妄想の妄想たるゆえんは、ワンネスということが見えないで、真実とは違う世界をイメージするところにある。


思考から離れて見えてくる世界は、空っぽの世界。何もない。そこに思考が入り込むと太陽が生まれ地が生まれ空(それ)が生まれる。これらは皆、雲のように形作られたもの。


しかしながら、空っぽのワンネスの世界から生まれてきている。逆に、妄想とは、そういう空っぽのワンネス世界を否定して形作られた想像物。


キリスト教でいう悪魔の存在はこれだと思う。空っぽのワンネス世界を否定する妄想、、、

例えば欲望に取り付かれて人を人と見れなくなる妄想。家畜のように思うとか、、、。


真実からすると、虫けらでさえ自分と同等に見える。空っぽワンネス世界では、虫けらも自分たち人間と比較分別する意味がまるでなくなる。


思考というのは、ワンネスを推し進める役にも立つが、それを否定することもできる。否定する側の働きの別名が妄想なんだよ。


この自我の妄想は、かなり根深い。ちょっと油断すると、妄想ね、反ワンネスの妄想が起動する。

この辺り、修行が永遠に続く訳やな。

長い間の人類の習性が、なかなか解脱を許さない感じ。





禅、ワンネス、思考、意識、ITネットワーク、、、クラウドって知ってる?いまや、ITネットワークとクラウドシステムは一体。クラウドって雲の意味や。

確実に言えることは、これらのキーワードは、一元という方向性で一致してる。

例外は妄想や。


妄想は、これと逆のベクトルを意味してる。ここは面白いところ。


確かに会社でもそういうマインドの人はいる。自分で作ってる壁を壊せないで、人が壊すのを待っている人たち。そして壊れたのを見計らって、一目散に駆け込んでくる人たち。わだかまっている水溜りみたいに妄想が渦巻く。


この「妄想」という言葉も面白いね。

これもそういう水溜りの別名みたいなもんだね。わだかまっている状態=妄想。

水が出口を求めて渦巻いている状態とか。妄想を精神活動や想像力と結びつけて考えているのは間違いかもね。物事の状態を示す一つのキーワードなのかも。


わだかまりとか。行き詰まりとか。澱みとか。そういう清流とは逆の状態を示す言葉なのかも。

アップグレードしてきたぞ~~~ わかる、言ってる事?


─ まあ、わかるけど。確かに、ワンネスと反対の考えが浮かぶと、なんとなくよどむからね。人や出来事に対する不満感情とか。エネルギーがよどむかんじやね。それに気がついて、その考えから解放されると、スッキリする。そういうことでしょ?


そう。それを指して妄想と呼んでるんだよね。

どんなに想像力を働かせても、わだかまってない状態なら、それは妄想じゃないんや。

反対に、どんなに素晴らしいことと思っても、わだかまりが起こったら、それは妄想。


─ なるほど。なんかわかる気がする。生きとし生けるものの幸せを、純粋に祈るとか?


嘘の心でなければ、わだかまらないやろね。祈りがね。


妄想の正体、やっと見つけた。

どんな変な人でも、人を微笑ましい気持ちにさせる人がいるやろ?

あれはこれが理由や。変なんだけど妄想がない。わだかまりがない。


─ 逆に、どんなに良さそうに振舞っていても、なんか違和感あるとかね。


そうそう。思い当たるところがたくさんある。


●付け足し●

ここまできたら、後一歩や。

ともかく、アップグレードしたブログを目指すということを宣言しよう。


─ 笑笑。アップグレードする禅3.0とか?アップグレードする禅 in 〇〇とか?〇〇は、新しい元号や。


例えば、、、「禅 平成」とか「禅 in HEISEI」


─ 新しい元号が決まったらね。


ともかくアップグレードが鍵。


─ ノリノリやねえ。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-01-16 05:00 | 禅 in HEISEI
●要点●
知の形が宇宙、世界を形作っており、それが同時に空! 知識は曲者で、既に現実化したと錯覚する。悟りとは、犬がデカイ頭脳を付けて生きてるみたいなもんや。公案は、すべからくこのデカイ頭脳を止めて、犬になって答えるみたいなもんや。例えば「空や無」という言葉は、犬には言えんやろ?それは、デカイ頭脳から出た言葉や。どんなに内容が深遠であろうと、犬はそんな言葉は使わん。

人生は一時の夢の如し。夢以外に人生というもの、生というものはありえない。死もね。100%夢だから、真理も妄想もない。真理と思ったものは、要するに夢で妄想で、、、すごい、この世界は。底なしで、無限で、自由自在で、なんの縛りもない。ここを悟るにはとにかく一度その夢から脱落してみないといけない。そしてもう一度その夢に入りなおす。いや、何度でも入りなおす。これは痛快だ。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Kei ─
見解(けんげ)。

知の形が宇宙、世界を形作っており、それが同時に空!

これ(この表現)ならわかりやすい。

これで聖書の言葉が解けた。最初に何々があれと言ったら、何々があった、とかあったよな?

Aya
─ なるほど。前にもその話してたね。「光あれ!と言ったら、光があった」って。





『ホモ・デウス』の話や、知の話でわかったことがある。

世界は知で作られてる。

知識は曲者で、既に現実化したと錯覚する。



早い話が、犬猫にデカイ頭脳を付けたのと同じで、その頭脳の中のバーチャルリアリテイーは、もはや、その頭脳を付ける前の世界とは違う。

悟りとは、犬がデカイ頭脳を付けて生きてるみたいなもんや。

道具や。世界は。でも、その道具は自分の知識でできている。



公案は、すべからくこのデカイ頭脳を止めて、犬になって答えるみたいなもんや。

「空や無」(という言葉)は、犬には言えんやろ?だからそれは、デカイ頭脳から出た言葉。

どんなに内容が深遠であろうと、犬はそんな言葉は使わん。





知やデータとは、この頭脳を指す。

ここまで分析できたら、話は早い。


─ どう早いん?


犬はどこにいる?

知識の中か、知識の外か?


─ 知識の外やん。あ、中かな?


犬なんてもの、知識以外のどこにあるの?


─ そやね。だから、答えを訂正した。


つまり、犬はあるけど、どこにもない。

あるけど、無い。

坐る、少し。


◇◇◇


見解(けんげ)。

人生は一時の夢の如し。間違いなく、これは夢だ。

夢以外に人生というもの、生というものはありえない。死もね、夢でした。

夢以外にこの世界も宇宙もありえない。

天国、地獄、それもね。



だから、あれこれ分けて考えなくてよかったんだよ、初めから。

100%夢だから、真理も妄想もない。

真理と思ったものは、要するに夢で妄想で、、、



すごい、この世界は。

底なしで、無限で、自由自在で、なんの縛りもない。


─ それって、どんな夢を見るかはその人次第ってこと?


そうだね、夢だから。材料はその人の中にしかない。

その人の見ている夢は、天国にも地獄にもなり、戦争にも平和にもなる。

無形や。目には見えない。だって、その人の夢だから。

その人の夢が真理。共通の夢もあるけどね。





夢から覚めるとは、こういうことなんやな。これが夢だと悟ること。

夢なんだけど、夢以外の現実がない。

凡夫は、これが夢だと言えば、じゃあ夢以外の現実があるはずだと思ってしまう。

実はない。



妄想、夢 = 現実、真理。

どうこれ?

観念、思考、夢、妄想、、これらが全部そのまま現実で真理だとしたら。



しかしね、ここを悟るにはとにかく一度その夢から脱落してみないといけない。

そしてもう一度その夢に入りなおす。いや、何度でも入りなおす。

これは痛快だ。

─ 痛快なん?

夢だから、いくら追求してもしょうがない反面、いくら追及してもさして害もない。自由なものだ。



衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-01-12 05:00 | 禅 in HEISEI
●要点●
「私たちには、この世界に意味を与えている虚構を読み解くことも、絶対に必要なのだ(『ホモ・デウス(下)』P256)」・・・見抜くべき虚構とは、「知識」だよ。虚構は知識、観念でできている。自我もね。見性すると、知識から抜け出るから、わかる。未見性の人は、しょうがないので知識で知識を見抜くしかない。とにかく、曲者は知識や。

(もし人類の多くが「知識」が虚構と見抜けたら)平和になる。体が必要なくなるかもね。知識が虚構とわかれば、こだわりが必要なくなる。そうなると、データベースに自己が移行しようがどうなろうが関係なくなる。

禅者Keiと坐禅初心者Ayaのチャットから

Aya

─ 『ホモ・デウス(下)』P256、「私たちには、この世界に意味を与えている虚構を読み解くことも、絶対に必要なのだ」って。見抜くべき虚構は、自我かな?

Kei ─
知識だよ。

虚構は知識、観念でできている。

自我もね。

見抜くべきは知識。知識で知識を見抜く。



見性すると、知識から抜け出るから、わかる。

未見性の人は、しょうがないので知識で知識を見抜くしかない。

─ いちいち、すごいね。笑笑 なんでもズバリと述べる。

天才Kei!?


とにかく、曲者は知識や。

知識万能と思ってるからね、科学技術もそうやし。

そこが盲点や。

知識は事実じゃない、どこまでいっても。そこが見抜けない、普通は。


─ もし人類の多くが知識が虚構と見抜けたら、どうなると思う?

平和になる。

体が必要なくなるかもね。

知識が虚構とわかれば、こだわりが必要なくなる。そうなると、データベースに自己が移行しようがどうなろうが関係なくなる。


─ ・・・禅者は、衆生無辺請願度。これしかないね。

そうそう、これに尽きる。

救うこと。

自分自身やから。




衆生無辺誓願度 🙏


# by keiaya2015 | 2019-01-09 05:00 | 茶話・禅話

某坐禅道場で悟後の修行に励む在家禅者の個人的なブログです。伝統的な坐禅修行による奥深い体験と、山あり谷ありの成長の歩みを記録しています。「坐禅のすばらしさを伝えたい」そんな熱く純粋な思いでブログを更新中! 衆生無辺誓願度 (˘⌣˘)


by サラリーマン禅者